2016.10.05 [横手山頂ヒュッテ 高相重信さん]
雲の上のパン屋×ヒュッテオーナー×山 vol.1
- パン作りを教わることはなかったんですか?
どこかに修業に行ったわけではないですからね。ただ、うちに来るお客さんで、「パンを焼くなら教えてやるよ」と言ってくれる人や、餅つき機を改良してミキサーみたいに使えるようにしてくれる人がいて、助かりました。山には、いろいろな技術や情報を持っている人が集まってくるので。
- あ、言われてみれば確かに、いろいろな人が来ますよね。
ここに来れば、どんな人だって話をしてくれる。これが町中だったら…誰も返事してくれません(笑)。ここだと、いきなり話してもお互い、五分五分でしゃべれる気がする。それは、山小屋の特権ですね。
- じゃあ、自分で調べたり、お客さんに話を聞いたりしながら。
日本の窯もいろいろ試しましたが、空気と気圧の関係かやっぱりうまくいかなくて。でも、ヨーロッパだと、3000~4000メートルの標高でも、パンを焼いているんです。そういう道具が欲しくて、お客さんにも聞いていたら、大学の先生が「一度でいいからヨーロッパへ行ってこい!」と。
- それで、ヨーロッパに?
英語もしゃべれないのに、どうやって行くのって感じでしたが、先生が「ちゃんと行けるようにしてやる」って、手紙を10通も20通も書いてくれました。飛行機に乗るときにはこれを出せ、降りたらこれを出せ、そうしたら空港で日の丸持っている人がいるからそこへ行けって(笑)。
- ヨーロッパはどのあたりに?
スイス、フランス、イタリア、あとドイツにも行きました。窯を見て…まあ、残り90%はスキーでしたけど(笑)。それから帰ってきて、結局、平成になってからかな、ドイツから窯を取り寄せました。
自分で撮った写真を絵葉書にして売り出したり、切手シートを作ったりと、パン以外にもさまざまなことに取り組んできた高相さん。「山小屋は自給自足。いろいろな知恵を働かせないと」と笑います。そんな高相さんが山に携わるようになったのは…?次回に続きます。
PROFILE
1940年、山ノ内町・沓野生まれ。横手山頂ヒュッテの二代目。1981年に「日本一高いところの雲の上のパン屋さん」として手作りパンの販売を本格的に始めた。志賀高原の観光振興のためにも尽力。1959年に発足した志賀高原観光協会の救助部救助隊に長年所属し、7代目の隊長を務めた。
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