信州魅力発掘人 信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

映像作家×ゆる山 vol.1

- 井上さんが、山の映像を作るきっかけは何だったんですか?

出身は東京・町田なんですが、高校生のときにスキーがしたくて、白馬でリゾートバイトを始めました。高専に通っていたんですが、スキー部だったんです。

- 東京でスキー部って、珍しいですね。

実際にスキーができるのは、冬休みと春休みの合宿のときだけで、普段はバスケをしていました(笑)。それで、合宿だけでは滑り足りなくて、住み込みのバイトに行くことにしたんです。毎年行くようになって…20歳くらいまではやっていました。それから東京で設計の会社に就職したんですが、ちょっと傾き始めて…。そこを辞めて、また白馬に来たんです。移住というほどではなくて、夏休み気分で、ちょっとまたバイトに行こうか…くらいの感じだったんですが、結局、7年くらい住みました。

- なんとなく、そのまま白馬に(笑)。

最初の1カ月くらいはホテルで働いて、夏しか営業していないので、その後はフリーターですね。空いている時間にスキーをしながら。そんな生活を始めて1年くらい経ったころかな…スキーの映像を作り始めたんです。

- 最初はスキーだったんですね。

今でいうシェアハウスのようなものをやっていた友達同士で。海外のスキービデオにも影響を受けました。それで、作った映像を東京の知り合いが見て、声を掛けてくれたんです。「映像作れる人を探してるんだけど来ない?ヒマでしょ?」って。

- それで再び東京へ?

「あーヒマっす」って言って。それで東京のゲーム会社に就職しました。それから4、5年くらいは、ゲームのプロモーション映像を作っていましたね。


仕事ではゲーム、個人ではスキーやマウンテンバイクなどスポーツの映像を制作していたという井上さん。現在のような山の映像を手掛けるようになるのは、再び白馬に戻ってから。もう少し、先の話です。それまではほとんど山に行ったことがなかったという井上さんが、どうして映像を撮るようになったのか…次回に続きます。

⇒「映像作家×ゆる山 vol.2」

PROFILE
1974年、東京都町田市生まれ。長野県松本市在住。ノンリニア映像編集の初期からスポーツ映像(テレマークスキー・MTB・スノースクート)の制作活動を始め、その後、ビデオゲームのプロモーション映像、TVCM等の制作、ディレクションを手掛ける。現在、「HAPPY DAYZ PRODUCTIONS」として、自然を対象にした映像・写真などクリエイティブ活動を行う。山については「ゆる山」がモットー。

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