2016.03.30 [スカイランナー 松本大さん]
山×スカイランナー vol.2
- そうだったんですね(笑)。
2006年、大学院1年生のときに御嶽山で行われた「OSJおんたけスカイレース」に出ました。そのときに、その年のスカイランニングの世界トップ4が来日したんです。それまでは日本人選手しか知らなかったんですが、そのレースで初めて外国人選手の強さを思い知ったというか、衝撃でしたね。
2007年おんたけスカイレース。ワールドシリーズ戦として世界から強豪が集った
- 世界との差は大きかった?
レベルが全然違いました。レースも4位までは全て外国人選手が占めて、僕が5位に入りました。日本人で強いと言われていた選手がまったく敵わなかった。それで、世界で戦うってどういうことなんだろうと一気に好奇心が湧きました。その後、日本人1位だったということで、スペインとフランスの間にあるアンドラ公国で開催された「スカイレース アンドラ」に招待選手として参加したんです。
- 海外のレースはどうでしたか?
コース設定がすごくて、御嶽山どころじゃないんですよね。言ってみれば剣岳みたいな山をガーッと上ってガーッと下る。四つん這いにならないと行けないところとか、道がなくて草が生えているところとか、「何これ、道じゃないじゃん!」ってところを走っていく。
2006年アンドラ。当時の日本の山岳レースには無かった華やかな雰囲気
2006年アンドラ。世界最強のリカルド選手と。スカイランナーになると誓った
- かなりハードですね。
でも、それが最高に楽しかったんです。そのころ、ようやく日本ではトレイルランニングって言葉を耳にするようになっていたんですが、トレイルランニングとスカイランニングの違いなんて、ほとんどの人が分かっていませんでした。僕も正直、そうだったんですが、アンドラに行って、本場のスカイランニングを体験して、これだ!って。大会がまた、ラテンの雰囲気でいいんですよ。ヘリコプターが旋回して、テンションが上がって。
- その大会が、大きな転機になったんですね。
自分がこんなにワクワクできることは、他の人だってワクワクするはず、日本人だって絶対好きだと確信しました。選手としてだけではなく、間違いなく、ビジネスにもなると。これで生きていこうと決めたんです。
スカイランナーになることを決めた松本さん。その後4年間、群馬県の小学校に勤務しながら、休みを利用して世界大会に参戦するという生活を経て、2012年3月に退職。プロとして歩み始めます。
PROFILE
1983年、群馬県嬬恋村生まれ。長野県上田市在住。群馬大学教育学部を卒業後、4年間小学校教師として勤める。2012年、退職して本格的にスカイランナーとしての活動を開始。2013年、アジア人として初めてスカイランニングのアジアシリーズチャンピオンに。2013、14年、富士登山競争を連覇。2015年、スカイランニングアジア選手権優勝、ワールドシリーズランキング10位。日本スカイランニング協会(JSA)代表理事として、競技の普及にも力を入れる。
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