2016.03.14 [株式会社ヤマテン 代表取締役 猪熊隆之さん]
山×気象予報士 vol.1
- でも、思ったけど言わなかったんですね。
1日が終わるときに、「今日は何とか頑張れた、明日もう1日だけ頑張ろう」って。その繰り返しで何とか続けることができました。同期も先輩も魅力的な人が多くて、仲間にも支えられました。山岳部という組織に身を置いて、自分の居場所を得たような気持ちも生まれました。
- 体力的には、徐々に慣れていったんですか?
ずっと最初にバテるのは自分だったんですが、1年生の3月に、初めて他の人がバテて。槍ヶ岳に登ったときだったんですが、そのときは嬉しかったですね。それから2年生になって、高校時代にスポーツやっていた人やインターハイに出たことある人とかも入部してきて、「後輩に負けちゃうんじゃないか」って不安だったんですが、一緒に行ったらやっぱり1年生は全然ついて来られなくて。疲れ方も違うし、自分が1年で成長したんだなとそのときに実感しました。
- 辞めずに続けてきたことで、いつの間にか力がついた。
それからは少しずつ余裕が出てきて、今までずっと下しか見ていなかったのが、周りを見られるようになりました。そうすると景色も楽しめるようになってきました。
- それまではあまり、山を楽しむ余裕はなかったんですね。
岩登りもするようになりました。子どものころから崖登りが好きで、家の裏でよく遊んでいたので、手を使って登るのは向いていたんですね。どんどんチャレンジしてレベルを上げて行くと、行ける山も増えてどんどん楽しくなっていきました。
- 大学時代はもう、ずっと山岳部漬けみたいな感じだったんですか?
そうですね。先輩について行くだけではなく、自分で山行計画も立てたり、合宿でもリーダーになったり。でも…3年生の冬に、富士山で大けがをしてしまって、山に登れなくなってしまったんです。
富士山合宿中に突風で飛ばされて滑落、救助されたのは24時間以上経ってからでした。粉砕骨折と凍傷で、「足を切断しなかったことが奇跡」と言われるほどの大けがを負った猪熊さん。何度かの手術を乗り越え、回復には2年もかかりました。そんなアクシデントに見舞われても、猪熊さんの気持ちはまた山へ向かいます。
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