2013.06.05 [ 信州大自然紀行環境保全研究所飯綱庁舎 ]
舟石(巨石に宿るもの)
上水内郡飯綱町は飯綱火山の東麓に広がるのどかな町です。現在の火山から8kmほどの所にある袖之山という地区に、「舟石」と呼ばれる面白い石があります。長さ9.6m、高さ4.4m以上もある見上げるような巨石で、なだらかな田園地帯の丘陵の木立の中に、この石があります。
伝説の巨人のだいだらぼっち以外に、これほどの巨石を丘陵や平地に運ぶことができる者は誰でしょうか。たとえば山崩れや、洪水、あるいは土石流が考えられます。しかし、近くには急傾斜地はないし、大きな川や谷もありません。また欧州などでは迷子石といって、かつての氷河の流下とともに巨石が遠くまで運ばれて、氷河が溶けた後に石だけが取り残されたものが知られています。ひょっとして、かつての氷河がこの石を運んできたのでは・・・などということが、あり得るのでしょうか?
実は今から約80年前、小川琢治という著名な研究者が、この袖之山周辺地域の巨石の分布となだらかな丘陵地形等の観察から、かつての日本列島には低い標高域にも氷河が存在し、巨石を運んだ時代があったのではないかという学説(「低位置氷河説」)を提唱しました。そして、それは当時の学界に大論争を巻き起こしたようです。その後の研究により、「低位置氷河説」は否定されましたが、この論争を通じて氷河研究は大きく進展したのです。つまり、舟石に代表されるこの地域の巨石は、日本の地学の進歩に大きく貢献をしたのです。
今では舟石は、現在の飯綱火山が出来る前の一世代前の火山体が大崩壊を起こし、牟礼岩屑なだれとして山麓に押し寄せたときに、火山体のかけらとしてはるばる運ばれてきたものと考えられています。
一方、舟石の上面には深い割れ溝があって、そこには一年中涸れることのない不思議な水が満たされています。そして、その水は神霊水として薬効があるとの言い伝えもあり・・・などなど、このひとつの石からは、どこまでも話が広がります。
このように氷河論争から、火山活動、山体崩壊、そして地域の素朴な信仰の対象にもなってきた舟石には、じつに様々な記憶が宿っており、地域のシンボルとしての価値があります。袖之山地区の人たちも、この石を宝として大切にしてきました。2003年には当時の牟礼村(現飯綱町)が、この石を天然記念物に指定しました。舟石についてさらに詳しく知りたい方は、どうぞこちらをご覧ください。
(URL http://www.pref.nagano.lg.jp/xseikan/khozen/khokoku/kyuizuna/pdf/bull_p/bull_74.PDF)
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