自然と遊ぼう!ネイチャーツアー

~自然に触れる、学ぶ、そして守る~ 自然環境や生物多様性、自然体験型ツアーについての情報をお届けします。

小串鉱山(40年の時を越え:高山村)

 上高井郡高山村の東に、草津白根地域に続く火山地帯があります。
さらに視野を広げると、長野・群馬県境の志賀高原から浅間山方面にかけて、とても多くの火山が密集していることがわかります。このあたりはちょうど那須火山帯の南西端と、鳥海火山帯の南西端、そして富士山から八ヶ岳へと続く富士火山帯の北の延長がひとつに集まる場所になります。そのため、100万年以上も前の古い火山から、今も噴気を上げる活火山まで、新旧の火山の一大集中域となっています。そういう場所であるため、この周辺には火山の噴気活動に伴って形成された硫黄の鉱脈が存在し、かつてはいくつもの硫黄鉱山がありました。小串(おぐし)鉱山もそのひとつです。

 小串鉱山は県境近くの標高1600mの場所にあり、地籍の上では群馬県嬬恋村に位置しますが、いろいろな意味で信州の鉱山といってもよいところです。大正時代に開かれ、昭和46年(1971年)に閉山しましたが、当時の人や生活物資のほとんどは、毛無峠を越えて長野県側の高山村を往来していました。また、この鉱山の前身ともいえる明治期の硫黄鉱山は、現在の高山村側にあったということです。

 高山村からつづらおりの県道をしばらく登り、万座への分岐をすぎてほどなく毛無峠(標高1823m)に着きます。毛無峠は標高2000m前後の御飯岳(おめしだけ)と破風岳(はふだけ)との間にある峠で、その名のとおり木(毛)が無くて、イワカガミやコケモモの花が咲く見晴らしのよい爽やかな景観が開けます。

 車道はここまでで、そこから先の群馬県側へは徒歩で下りていきます。下り始めてすぐに、大きな鉱山跡がみえてきます。




 小串鉱山は、昭和30年代はじめの最盛期には月に約2000トンもの硫黄を生産していました。当時この地には鉱業従事者とその家族が暮らす人口1500人程に達する鉱山町がありました。もちろん、学校や診療所もあったそうです。ここで生産された硫黄は、索道を使って峠を越えて高山村に運ばれ、さらにトラックで長野電鉄須坂駅に運ばれて行きました。峠に向かって当時の索道の跡が残っています。
 今では当時の住居はなく、山腹に残された広大な平坦地のところどころに坑道や精錬所等の面影が見られます。また、昭和12年(1937年)には、温泉地帯特有の大規模な地すべり災害が起こり、245名もの人が亡くなりました。この地すべり跡地の直下には、犠牲者を弔う慰霊碑と地蔵堂が建っており、そこには鉱山(やま)の歴史を伝える資料も整えられています。


 ごくまれにしか人が訪れない静かな高原の一角に、タイムカプセルのように残る鉱山跡地。40年という月日は、長くもあり短くもある微妙な年月です。ここに来ると、自分を含めた社会の大きな移り変わりが胸に迫ってきます。

             ~鉱山(やま)の町 流れる霧とともにあり~

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