2013.03.12 [ 信州大自然紀行環境保全研究所飯綱庁舎 ]
上田城(戦国と自然史との接点)
千曲川の中流に位置する上田市中心部には、かつて戦国の世に難攻不落とうたわれた上田城址があります。
1585年の第一次上田合戦、1600年の第二次上田合戦において、圧倒的な兵力で攻めてきた徳川軍に対し決して屈しなかった城として有名です。もちろん真田三代(昌幸・信幸・幸村)の武将たちのすぐれた戦略があってのことですが、それを支えた自然の成り立ちにも注目すべきところがあります。
上の写真は城の西櫓(やぐら)を下からみたものです。四方を山に囲まれた盆地の低平地上にありながら、上田城は地形的高まりの上に築かれ、川と崖に護られた天然の要塞になっています。
崖をつくっているのは上田泥流です。泥流と呼ばれてはいますが、正確には「岩屑なだれ」によって形成された堆積物です。岩屑なだれというのは、火山の山体が噴火活動や地震等をきっかけに一気に崩れる落ちる現象で、たとえば会津磐梯山や北アメリカのセントヘレンズで起きた山体崩壊でも岩屑なだれが発生しました。その堆積物は、大小さまざまな火山岩の塊と火山灰を含んだ基質が乱雑に混じり合っていることが特徴です。この城は、扇状地上にぽっかりと島のように残された岩屑なだれと、それにぶつかる千曲川(現在はかつての流路と少し変わっています)やその支流の神川、そして千曲川が削った特徴的な急崖によって護られています。つまり、そういう地の利を十二分に考えて造られた城といえます。
さて、この岩屑なだれはどこからやってきたものか・・・これが大きな問題です。さまざまな特徴を考慮すると、浅間山の方からやってきたもののように考えられますが、一方で烏帽子火山からではないかという意見もあって、完全な決着はついていません。そういう地質学的な議論はあるものの、戦国の歴史の陰に、このような火山活動に伴う大事件が深く関与しているということをぜひ知ってほしいと思います。岩屑なだれの崖は、木の根や風化によって縦方向に亀裂が入り、少しづつ剥がれるように崩れていきます。またそのようにして急崖が保たれているわけです。そのこともあって、かつては街中のいたるところに露出していたこの岩屑なだれの崖が、今ではコンクリート等に覆われて、直接観察できる場所が限られてきました。
下の写真は、昨年11月に「自然史王国信州を歩く~戦国編~」として一般向けに行った自然ふれあい講座の様子です。この講座では、地元の研究者に協力をいただき、地学と歴史の接点に着目した新感覚のエコツーリズムを企画してみました。左は高校時代から上田泥流を研究されてきた横山氏、右は上田城の歴史に詳しい市教育委員会の和根崎氏が説明されているところです。刺激的でとても楽しい講座となりました。
~春風にゆるびしこころ 崖もまた~
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