自然と遊ぼう!ネイチャーツアー

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栃原岩陰遺跡(北相木村)

南佐久郡北相木村には栃原岩陰遺跡(縄文早期・住居址)があります。
村を流れる相木川沿いの崖下にあるえぐれた岩陰が、遺跡です。

この遺跡は1965年に発見され、1987年に国の史跡に指定されました。
ここが有名なのは、日本の気候条件と酸性土壌の条件下では通常残りにくいはずの古い人骨などの遺物が、とても良い保存状態で見つかったこと。そしてその遺物の量と種類が非常に豊富であったことです。人骨が溶けてしまうことなく残っていたのは、厚くたまった木灰にまもられていたためで、何体もの人骨から復元された北相木人は、縄文人としては意外に華奢な体格と顔立ちをしています。また動物の骨を加工してつくられた精巧な釣り針や、ツノガイやタカラガイなどの海産の貝殻を加工した装身具も多数出土しています。

当時としては珍しく、考古学はもとより、人類学や地質学や動物学など、様々な分野の研究者が協力し、総合的な視点で発掘調査が行われたことも特徴でした。

大きな崖をつくったのは、今から8万年程前に八ヶ岳火山からもたらされ、周辺地域を広範囲に埋めた千曲川泥流と呼ばれる堆積物です。この堆積物は、大小様々の火山岩のかけらを乱雑に含みますが、礫間を埋める基質は火山灰混じりの砂で比較的軟らかいという特徴があります。そのため、川が下刻していく途中で、川による側方からの浸食を受けてノッチ状に窪んだ岩陰が出来やすいのです。約1万年前の人々は、そういう天然の窪みを生活の場に利用していました。この堆積物は透水性がよいので、岩陰といってもじめじめしてはいません。広くはないですが、雨がしのげる明るく乾いた半閉鎖空間として、なかなか快適であったものと思われます。ただ、多くの獣骨や埋葬した人骨がある同じ場所で、火を焚きながら長期にわたって生活が続いていたことになり、当時の人が何を思い、またどんな喜びや悲しみを抱いていたものか、想像が広がります。



 村役場の隣には、この遺跡をテーマにした村の考古博物館があります。現地で遺跡を見た上で、博物館を訪ねると、はるか縄文早期の時代にここに生きた人々のことが一層身近に感じられることでしょう。

  北相木人をおもう
  ~ やまびとの細身に似合う 子安貝 ~ 

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