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Vol98■とく☆とく信州(週刊信州2周年記念連載)

<そばの歴史4>そば文化が信州から全国へ
もう一つ、江戸時代のお話をします。
江戸時代の前期には、全国規模で藩主の移封(国替え)が行われていました。
もちろん信州のお殿様もその対象であった訳ですが、国替えは、藩主と家臣団の引越しですから、その家族はもちろんのこと、家財道具の一式をはじめ、様々な荷物を莫大な費用をかけて移動しました。
この大引越しに伴い、藩内にいた一部の町人も連れて行ったようで、その中にいた蕎麦職人によって信州各地の蕎麦打ちの技術や食べ方が、移り住んだ先の土地に根付いたとも言われているのです。

【移封先に伝わったとされる蕎麦】
■寒晒し蕎麦
・年代 寛永13年(1636)
・藩名(藩主名) 高遠(保科正之)
・移封先(県名) 出羽最上(山形)
秋に収穫した蕎麦を寒中の清流に数日間浸した後、寒風にさらして乾燥させた実をそば粉に引いて使う「寒晒し」の技法が伝わったとされる。そばが劣化しにくく、甘味も多くなる。茅野市では毎年「寒晒しそば祭り」をやるようになった。

■出雲の割子そば
・年代 寛永15年(1638)
・藩名(藩主名) 松本(松平直政)
・移封先(県名) 出雲松江(島根)
松平直政が松江藩に移封の際に、蕎麦打ちの技法が伝わったともされる。お重の丸い漆器(割子)にそばを盛りつけ、ねぎ・のり・おろし・削り節など様々な薬味で楽しむ。

■高遠蕎麦
・年代 寛永20年(1643)
・藩名(藩主名) 出羽最上(保科正之)
・移封先(県名) 会津(福島)
高遠藩でのそば打ち技術と地元の辛味大根が伝わったとされ、今日まで「高遠そば(少しなまって『たかどそば』とも呼ばれる)」という名前で食されている。

■出石蕎麦
・年代 宝永3年(1706)
・藩名(藩主名) 上田(仙石政明)
・移封先(県名) 但馬出石(兵庫)
国替えとなった仙石政明が、蕎麦職人を連れてきたことに始まるとされ、現在の小皿に盛りつけるスタイルはその後に確立されたもの。

一方で、しばらく信州で途絶えていた「寒晒し」の技法や「高遠蕎麦」が、近年、地域の取り組みで復活したり、出石蕎麦のスタイルが上田で出される(「里帰りそば」と呼んでいる)など、信州から広がった蕎麦文化が、年月を経て、また故郷に里帰りするロマンが生まれています。

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