2014.01.16 [■四季彩だより~信濃の国から~]
<VOL.246>四季彩だより~信濃の国から~
明けましておめでとうございます。
1月も半ばを過ぎようとしていますが、新春とは名ばかりで、寒いこと寒いこと。
“頭寒足熱”と言いますが、これでは“頭寒足凍”ですね!?
春まだ遠い信州ですが、冬と寄り添いながら時が流れています。
さて、今年の干支は午(ウマ)!
今年最初の話題は、干支にちなんで、信州が生んだ名馬についてです。
長野県西部の木曽地域。この地に信仰の山として、信者をはじめ多くの人々をその大きな懐に包み込み、悠然とした姿を見せているのが御嶽山です。
その御嶽山の麓1,000m~1,500mの裾野に広がるのが開田高原です。
開田高原には「木曽馬」という馬が、四季の移ろいとともにのんびりと暮しています。
木曽馬は、北海道和種(通称:道産子)や御崎馬(宮崎県)などと同じ日本在来の馬で、本州での日本在来馬はこの木曽馬だけです。
(ただただ のんびり)
(親子でこれまたのんびり)
木曽馬の起源については、はっきりしていないようですが、中央アジアに生息していた「蒙古草原馬」が2~3世紀頃、朝鮮半島を経由して日本に渡来し、5~6世紀以降には渡来する頭数も増加し、全国に分布したと考えられているそうです。
胴長短足で背が低く、在来馬の中では中型馬に属しており、性格は「おとなしい」と言われています。
平安時代から江戸時代にかけては、名馬として幾多の武将や武士が騎乗するとともに、農耕馬、荷馬として重宝されていたそうです。
明治時代からは農耕馬としての需要が高まり、飼育数が増加しましたが、中型馬であるため、軍用馬としては不適格とされてしまいました。国は国外種を導入し、国内の在来種の改良を進めた結果、昭和18(1943)年には純血の木曽系種雄馬は最後の1頭まで淘汰されしまいました。
(信仰の山 御嶽山を背景に)
昭和21(1946)年に木曽馬復元活動が開始され、昭和26年に最後の純血木曽馬と呼ばれる「第三春山号」が誕生しました。
この第三春山号の父馬、母馬はともに純血種で、父馬は神社の“神馬”であったことから改良処分を免れたおかげで、純血が保たれたそうです。
現在、第三春山号は高原内にある開田郷土館に“はく製”となって往時の姿をとどめています。
昭和44(1969)年には木曽馬保存会が設立され、現在では約40名の会員の皆さんが繁殖事業やイベントを通して、木曽馬の保存活動に力を注いでいます。
昭和58(1983)年に長野県の天然記念物に指定されましたが、この指定は木曽馬種全体に対してされたものではなく、1頭ごとについてされたそうです。
当時22頭が指定され、現在、約60頭ほどの木曽馬がいますが、そのうちの約20頭が(平成17年に追加指定を受け)今も天然記念物に指定されているそうです。
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