2014.02.08 [ 歴史・祭・暮らし ]
節分の頃【井月さんのこころ47】
井月さんのこころ シリーズ その47
2月3日(月)は節分でした。
「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて鬼を追い出し、福を招き入れた後、年齢(数え歳)の数だけ福豆を食べて無病息災を祈念します。
鬼の嫌がる鰯(いわし)の頭を焼いて柊(ひいらぎ)など棘のある木の枝に刺して邪気を除ける風習もありますね。
年の豆鬼とりひしぐ礫かな 井月
節分は、宮中で平安時代から行われている「追儺(ついな)」の儀式から生まれたものとのことです。
『延喜式』によると、彩色した土で造った牛と童子の人形(土牛童子)を大内裏の各門に飾っていたそうで、門によって青色、赤色、黄色、白色、黒色のものを、大寒の日の前夜に立て、立春の日の前夜に撤去されていたとのこと。
現在でも京都では節分に「四方参り」と云って北東の吉田神社、南西の壬生寺、南東の伏見稲荷大社、北西の北野天満宮へお参りする風習があり、特に、表鬼門の吉田神社と裏鬼門の壬生寺へお参りする人が多いとのことです。
節分行事は、京都に限らず全国の寺社で行なわれていますね。
節分や又とり出す延喜式 井月
さて、寒中に雨が降り暖かな日が続いていたと思っていたら、立春寒波がやってきました。
暦の上では春でも、まだまだ氷点下の寒さ、火が恋しい日々が続きます。
そんな季節でしょうか、井月さんが詠んでいます。
灰に書く西洋文字や榾明り 井月
以下、この句の評釈について、井上井月研究者である竹入弘元氏の「井月の魅力 その俳句鑑賞」(ほおずき書籍)から引用させていただくと・・・、
火鉢に当たり、灰に火箸で書きつける。西洋文字とは、ローマ字か。電灯のない時代で、明りと言えば、菜種油の灯火もあり、松脂を燃やしもするが、榾明りが一般的。囲炉裏に榾をくべて、煮物、暖房、明りを兼ねる。
この明るさでは細かい文字は見えない。子供か青年かとも見られるが、新し好きの井月自身かも知れない。この句の碑が飯島町文化館西にできた。
(榾・冬)
行暮し越路や榾の遠明り 井月
続けて、この句の評釈についても、同様に引用させていただくと・・・、
越路は北陸道の古名。越の国は福井・石川・富山・新潟の諸県だが、ここは井月の出身地新潟県の何処かであろう。歩いて行く途中で日が暮れる心細さ。囲炉裏にくべた薪がとろとろ燃える。榾の火の遠明りが障子越しに見えて懐かしい。一家団欒の日が蘇る。
若いころ越路をさ迷った際の追想か。心細さと懐かしさのない交ぜの句。
(榾・冬)
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