2014.07.02 [ 歴史 ]
長久保宿で出会える「おすへさん&真田信繁(幸村)書状」
地域政策課のコバです。
中山道六十九次のうち江戸から数えて二十七番目の宿場「長久保宿」は、大門道や北国街道への分岐点にあたる交通の要衝として繁栄しました。
本陣(石合家)、釜鳴屋(竹内家)等、宿場町当時の面影を色濃く残す建物が多く現存しており、旅籠建築の一福処濱屋が歴史資料館として公開されています。
濱屋は明治時代の建物で、山間部の旅籠建築に多く見られる、一階部分より二階部分を突き出させた「出梁造り」が特徴です。
濱屋の中に入ると、長久保宿に関する様々な資料等が展示されています。
2階に上がると、おすへさんのプロフィールがイラスト付きで紹介されています。
住所:中山道長久保宿本陣 出生地:信州上田 生年月日:天正十三・四年(1585・1586)頃か?
夫 石合十蔵道定 父 真田信繁(幸村) 母 堀田作兵衛興重の娘
イラストには「肖像画・文献等が存在し、それに拠ったものではなく、当館のイメージキャラクターとして作成したものです。」との注が書かれています。
そして、同じ場所には「真田信繁書状」が展示されています。
この書状は、大阪冬の陣(1614年)で豊臣方についた信繁(幸村)が大阪城南側に真田丸を築き、徳川方に大打撃を与え、双方の和議によって終息に持ち込むものの、和議の条件であった大阪城の埋め立てを巡り再び対立が深まった慶長二十年(1615年)二月十日に石合十蔵あて出されたものです。
書状の内容から再戦を覚悟している様子が判ります。実際、信繁はこの3ヵ月後、大阪夏の陣で華々しく討死することになります。
敵方の諸将から「真田日本一の兵(つわもの)いにしえにより物語にもこれなき由、」と称賛されたのは有名な話です。
この書状からは、敵将の子となった娘の将来を案ずる、父親の愛情がほとばしるほどに感じられます。
(以上、書状の解説から抜粋しました)
2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」に決定しましたが、このエピソードがドラマで放送されるといいですね。
三谷さ~ん、よろしくお願いします
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