2021.08.06 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史自然・花便り ]
信濃国分寺のハスの花と蘇民将来
下の画像は信濃国分寺の三重の塔です。
その日本遺産の解説板に次のようなものを見つけました。牛頭天王(ごずてんのう)祭文の解説です。ネットで検索すると、原文と訳文を見つけることができます。
茅の輪の由来を調べていると、スサノオノミコトのほかに牛頭天王の話もたいへん多く出てきます。これには少し混乱してしまい、茅の輪の画像のアップをためらっていました。しかし、信濃国分寺では牛頭天王をはっきり示しているので、この祭文を読んでみました。
ここから長くなるので、ハスの花を見ながらにしましょう。2021年7月22日の画像になります。
牛頭天王とはその漢字のとおり、牛の頭にツノの生えた神様です。姿が異形のためお嫁さんが来ないのが悩みでした。そこで牛頭天王はお告げのあった地に向かって、后(きさき)さがしの旅に出ます。
旅の途中、宿を探すことになり裕福な長者の家を見つけました。それが小丹(こたん)長者の家でした。
小丹長者は裕福ではあったのですが、心が狭く、弱い者、困っている者の気持ちが理解できない人物でした。牛頭天王を追い出してしまったのです。
牛頭天王を見かねた家人が、小丹長者の兄である蘇民将来のところに行けば泊めてもらえると教えます。牛頭天王は一里ほど離れた蘇民将来の家に向かいます。
蘇民将来の家は大変に貧しいものでした。このようなみすぼらしい家でもよいのならどうぞと、訪ねてきた牛頭天王を蘇民将来は快く迎えるのでした。
貧しい蘇民将来でしたが、わたしが食べている粟飯でもよいのならどうぞお食べになってくださいと、できる限りのもてなしをしました。この蘇民将来の振る舞いに牛頭天王はいたく感動を受けたのです。
蘇民将来が牛頭天王の行き先をたずねた際に、お告げのあった場所と小丹長者への怒りは忘れておらず、いずれ小丹長者は罰したい気持ちを明かしました。
蘇民将来は、弟のもとにはわが娘が嫁いでいます。どうか娘の命は助けてくださいと懇願しました。
牛頭天王は、簡単なことである、柳の木で作った札に「蘇民将来の子孫也」と書いてつるしておけば、その子孫は許してやろうと告げたのです。
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