2013.06.17 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
木曽義仲公ゆかりの地を訪ねて②~戦勝祈願の寺と桜編~
地域政策課のOです。
上小地域における木曽義仲公ゆかりの地を訪ねるシリーズ、今回は義仲公が戦勝祈願をしたお寺をご紹介します。
そのお寺が上田市丸子にある宝蔵寺です。
丸子の中心部から依田川の方面を見ると岩壁にそそり立っているお社が目に入ります。
木曽義仲公が依田城を居城として京に向けて平家打倒の兵を挙げた際に、このお寺にある岩谷堂の観音様に参詣して戦勝を祈願したとのこと。
この岩屋堂の前には大きな山門があります。
義仲公は参詣の際、最初の写真にある正面の石段を上がらずに、馬で脇参道の急坂を一気に駆け上がりこの山門前に来たことからこの脇道から山門を”義仲の馬大門”と呼ぶようになったそうです。
そして、この山門下には大きな桜の木が。
この桜はエドヒガン桜で「義仲桜」と呼ばれており、樹齢は800年に及ぶそうです。
義仲公が幼木だったこの桜に馬を繋いだとのことで、季節になると今でも桜が競うように咲き誇ります。
実はこのお寺、平家にも縁があります。
近松門左衛門作の浄瑠璃「出世景清」で有名な「悪七兵衛」の異名を持つ平景清は壇ノ浦の戦いに敗れて、僧に変装し鎌倉に向かう途中、このお寺を訪ねました。これを知って景清の寵妃であった「楓の前」もこの地を訪れたのですが、景清が鎌倉で捕らえられたのを聞いて、このお寺で隠棲して景清と平家一門の菩提を弔ったといわれています。
この景清は義仲公との京での戦いにも参戦しているとのこと。
また、義仲公の寵妃「巴御前」も義仲公討殺後に「楓の前」同様にこの寺で義仲公を弔ったということです。
不思議な古の縁を感じました。
※宝蔵寺について詳しく紹介したブログ記事があります。こちらをご覧ください。
所在地:長野県小県郡丸子町大字御嶽堂84
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