2013.06.20 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
木曽義仲公ゆかりの地を訪ねて③~挙兵の地続編~
地域政策課のOです。
シリーズ最初のブログ記事で義仲公の挙兵の地を取り上げましたが、義仲公が兵を集結し、京に向かうために挙兵した地があるということでその地へ行ってきました。
それが白鳥神社です。
白鳥神社は東御市にある重要伝統建造物群「海野宿」の一角、入口付近にあります。
白鳥神社の案内板によると、この神社は古代天皇の命を奉じて東征の途についた日本武尊が、この地に滞在されたことから白鳥神社と称し、古代から中世の豪族、海野氏の祖と伝わる貞元親王・善淵王・海野広道公を祭神としている神社で、往古より本海野の住民を始め近郷近在の人々より産土神として崇敬の念をあつめ、春と秋には例大祭が行われている由緒ある神社です。
義仲公は、後白河法皇の第二皇子高倉宮以仁王の令旨に応じ平家追討のため、大豪族であった海野氏の本拠地であるこの地(海野白鳥河原)で治承5年(1181)に挙兵したとされ、地元海野一族をはじめ、義仲公の四天王といわれた樋口、今井、根井、楯氏を中心に信州、西上州の武将3000騎が終結したと伝えられています。
神社の拝殿前には、けやきの巨木があります。
この木は「御神木」と呼ばれる樹高30m、幹周7.3mの大木で樹齢は推定700年以上とされています。
白鳥神社は義仲公の嫡男・清水冠者義高の側近として仕えた海野幸氏が建久2年(1191年)に現在の地へ建てたのですが、その当時に植えられたものといわれています。
義仲公の挙兵の折には植えられていなかったと思われますが、その後の海野宿の行く末を現代まで見守り続けてきたのでしょう、生命力を感じる御神木です。
所在地:長野県東御市本海野1204
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