2013.12.12 [■I ♥信州(あいラブしんしゅう)]
<VOL.244>I♥信州(あいラブしんしゅう)
エンジニアからオーガニックファーマーへ
~わたしが育てる、あなたの野菜~(1)
「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。
第18回目のI♥信州は、1999年に京都府から上伊那郡辰野町に移住された志野勝英さんにお話をお聞きしました。
志野さんは、ご自身の農場である「オーガニックファーム「やじろべえ」」にて、農薬や化学肥料を一切使わない有機農法での野菜栽培に取り組んでおられます。
木曽へと通じる初期中山道沿いの里山の麓に建つ、志野さん手作りのログハウスで、信州へ移住されるまでの経緯をお聞きしました。
<暮らしのサイクルをもっとスローに>
京都府の最南端、木津川が流れる木津川市(旧・木津町)。
古くから京都と奈良を結ぶ、水路と陸路の交わる要衝地として栄えたこの地から辰野町へ移住された志野さん。高校卒業後は、長野県内唯一の国立大学である信州大学工学部に進学。その後生まれ育った奈良県御所市に戻り、日本を代表する大手電機メーカーに就職しました。
配属された部署では、主に携帯情報端末などのハイテクモバイル機器の設計・開発に携わっていました。
一口に製品の開発設計といっても、一人ですべてを行うのではありません。
様々な部門から優秀なエンジニアが集められ、ひとつのプロジェクトとして進んでいきます。
プロジェクトが終わると、次のプロジェクト、また次…と製品開発の忙しないサイクルに追われる日々を過ごす内、同じサイクルで回り続ける暮らしをこのままずっと定年まで続けていくのか、という疑問がふと頭をよぎりました。
『仕事が面白くないわけではないけれど、平日帰宅するのが夜10時や深夜になることはザラ。製品化間近ともなれば土日の休みは返上で、ほぼ会社と自宅の行き帰りだけ…。このままの生活を続けて自分は本当に満足出来るのだろうか…。』
そんな想いを抱えると同時に、志野さんの胸に湧き上がってきた新たな夢が「有機農業」でした。
アトピーを抱えるお子さんのため、家族で食べるものはなるべく自分たちで作ろうと、家庭菜園で様々な野菜作りに取り組んでいた志野さん。
食べ物に気をつけるようになる内、有機農業に興味を持つようになりました。
志野さん:「会社を辞める5、6年前くらいから農業をやりたいなと思って地方のことを調べたりしていました。
でもちょうどその頃に下の子が生まれて、時期的に動くことが難しかったんです。子どもの体質のこともあって、普段から妻も食べ物には気を遣っていて、小さい畑ながらもキャベツやブロッコリーなど色んなものを作っていました。その内にだんだんと野菜を育てるということが面白くなってきて、畑に座ってぼーっとしたり、そういう時間を持てることもすごく良いなと思ったんです。」
それから忙しい仕事の合間を縫って、就農への道を模索する日々が始まったのです。
<家庭菜園から夢見た有機農業家への道>
京都府から車で約1時間半のところにある、三重県愛農学園農業高等学校。
この高校は、国から「就農準備校」に指定されており、志野さんが通っていた当時は、就農を考えている人たちに向けて有機農業の講座が月2回開かれていました。
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