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Vol.13特集■唱歌史に名を残す、音楽家のふるさと

日本の唱歌史に名を残す、
偉大な音楽家のふるさとを訪ねて

全国1位の生産量を誇る巨峰をはじめ、リンゴやさくらんぼなどのフルーツ畑や菜の花畑が広がり、のどかな田園風景が残る中野市は、数々の名曲を生み出した偉大な音楽家を輩出しているのをご存じですか?
今回は彼らの功績と、彼らの古きよき故郷の風景を紹介しましょう。


シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ〜(シャボン玉)
【日本のフォスター 中山晋平】

明治20年に新野村(現中野市新野)に生まれた中山晋平。大正3年、松井須磨子の「カチューシャの唄」を作曲し大ヒット。後に野口雨情と出会い、「東京音頭」など新民謡と呼ばれる“ご当地ソング”を数多く手掛けることとなります。さらに北原白秋や西條八十ら時代の文壇人との出会いをキッカケに、心に残る多くの童謡曲を作ることとなるのです。

晋平の曲の特徴は、リズミカルな繰り返しのメロディーにあると言われます。原曲では「證城寺(しょじょじ)、證城寺」であった冒頭部分を無断で「しょ、しょ、證城寺」に変え、作詞をした野口雨情から抗議を受けたものの、「しょ、しょ」のおかげでこの『證城寺の狸囃子』はかえってヒット曲になったという逸話もあるほどなんですよ。

晋平の生誕100年を記念し、生家に隣接して中山晋平記念館が開館しています。晋平が実際に使用していたオルガンなど、抒情あふれる約2500点のゆかりの資料が収蔵・展示されています。


中山晋平記念館

證城寺の狸囃子の歌詞の一部をとった、日帰り入浴施設「ぽんぽこの湯」。露天風呂からは北信五岳や中野市街地が一望できる。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川(故郷)
【郷土の思いを歌にした作詞家 高野辰之】

明治9年、永田村(現中野市永江)に生を受けた、高野辰之。少年時代は土蔵に隠れて本を読んだという辰之は、国文学者となり「文部省国語教科書編纂委員」に選出されます。初の国定音楽教科書「尋常小学唱歌」の編纂しながら、作曲の岡野貞一とのコンビで「春が来た」「紅葉」「朧月夜」などの数々の唱歌、全国の校歌をつくりつつ、さらに国文学者としても、「日本歌謡史」「江戸文学史」「日本演劇史」を書き上げ、近代の国文学に大きな功績を残しました。

辰之の歌詞に登場する、瞼裏にうかぶような懐かしい情景は、自身の故郷である中野市永江地区の景色にその源泉があるのでしょう。名曲「故郷」に登場する「かの山」は“熊坂山”、「かの川」は“斑川”ではないかと言われています。東京での忙しい生活をしていながらも、辰之の心の中には常に愛する故郷の景色、思いがあったのですね。


高野辰之が見て育った風景。今でもほとんど変わっていないのだろう

辰之が学び、教鞭もとった永田尋常小学校の跡地に、現在高野辰之記念館が建っており、様々な愛用品が展示されています。昔の音楽室を再現した部屋では唱歌を歌った懐かしい日を思い出すことができるでしょう。

左/高野辰之記念館 右/こちらも唱歌から名付けられた日帰り入浴施設「もみじ荘」。眼下には千曲川が流れ、北志賀などの美しい山並みが望める

そして現在、「となりのトトロ」や大ヒット中「崖の上のポニョ」など、宮崎駿監督のほとんどの作品の映画音楽を手掛けている久石譲さんも中野市出身なんですよ。久石さんの透き通るように純粋なメロディーにも、のどかな風景の中で過ごした少年時代の思い出が生きているのではないでしょうか。


中野市東山公園内、無相大師祖堂の紅葉
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