信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

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雲の上のパン屋×ヒュッテオーナー×山 vol.3

高相さんのスキーや写真の腕前は、“趣味”という言葉では足りないほど。それ以外にも、長年、山で暮らしているからこそ感じること、やってきたこと、やらなければいけないと思っていることもたくさんあるようです。

“緑の病院”-山で癒され、山で学ぶ

- 今は、ヒュッテは家族で運営されていらっしゃるんですか?

基本、家族でやっていますが、シーズン中などは長期でアルバイトをしてくれる人もいます。都会で疲れた人たちにとって、山は「緑の病院」。空気はいいし、景色を眺めていれば目も良くなるし、ストレス解消もできる。山で「ヤッホー」って、叫ぶでしょう?あれはどうしてか知ってますか?

- えっ…どうしてですか?

苦労して汗かいて、自分の足で登ってきた感動の証拠なんです。「俺は登ったぞ!」という雄叫びみたいなものですね。それと同時に、高山病の予防にもなります。黙ってじっと登っていると良くない。山で「こんにちは」って挨拶するのも、声を出すので良いことなんですよ。

- 気分だけではなく、体にとってもいいことなんですね。

3歳から5歳くらいまでの小さい子どもも、もっと山で遊んでほしいですね。危ないとか、汚いとか、虫に刺されるとか、そんなこと言ってばかりだと子どもたちは冒険したくてもできないですから。子どもは好奇心の塊。草も花も昆虫も、「あれは何?これは何?」って楽しいはずです。

- 大人に対しては、どうでしょう?

例えば山に入るときは、用心深くスケジュールを立てるとか、下見をきちんとするとか。ちゃんと備えた上で、それでも万が一の場合は協力して助けてほしいって、登山届を出すとか。そういうのはマナーみたいなもので、そこをしっかり認識しておかないと、いつまでたっても事故はなくならない。「勝手に行っても、別にいいだろ」では、良くなってはいかないです。

- そういう意識は大切ですね。

山小屋の親父なんて、「なんだ、今ごろ来たって花も終わっちゃったじゃねぇか。もっと早く来なきゃ」「ほら危ねぇぞ、足元気を付けろ」って言ってるのが仕事。そのときに「じゃあ今度、いつ来たらいいかな」って聞けば、「この時期はこれがきれいだし、もうしばらくしたらあの辺りもいいよ」と教えてくれます。それが地元の人の役目ですから。

- そういうコミュニケーションも、山小屋では楽しいですよね。

今は、パソコンで何でも見られる時代だから、「(パソコンで見た)写真と全然違うじゃないか」って怒る人もいますけど。だったらわざわざ山に来なくてもパソコンで見てれば楽だし、ずっといいじゃない。

- 高相さんは今後、何かやりたいことはありますか?

やりたいことはいっぱいあります。人間、生きているうちはね。でも、やれなかったこともいっぱいあるから。

- やれなかったこととは?

例えば、観光地づくり。どこの観光地にもあると思うけど、惰性的にものを作り過ぎた時代がありました。リフトなんかも、短い距離の同じようなものをいくつも作る。メインのリフトを1本にして倍の距離にすれば、乗っている時間が長くなるしいろんなところも見えるから、次はあそこに行こうって話ができるでしょ。

- 高相さんが山小屋だけではなく、地域全体の観光に目を向けるようになったのは?

それは自ずと、全体を考えるようになります。なぜかというと、お客さんがそういうことを言い出すから。面白くなければ「あそこはもっとこうしたらいいのに」とか言われるので。

- お客さんの声を聞くと、やりたいこと、やらなきゃいけないことはたくさん出てきそうです。

逆に、私はよく、お客さんに「感動って何だ?」って聞くんです。感動って何だと思います?

- 感動…、聞かれるとすぐに答えられません。

皆、分かっているのに誰も答えられないんです。それは当たり前のことだから。感動っていうのは一言でいえば「有り難い」=感謝なんです。山に来ると、例えばガイドさんにも素直に「ありがとう」って言うでしょう。感謝することが当たり前に思えるというか。そういう場所が山であり、魅力の一つなんだと思います。


長野オリンピックの開催が決まったのは1991年。その翌年に高相さんは山小屋の規模を縮小しています。拡大ではなく縮小に舵を切った理由を聞くと、「オリンピックは次があるから、開催して4年後には下火になる」との答えが。一時のブームに乗らず、その先を見つめる眼差しの奥には、子どものころからずっと続く山との暮らしがあるようにに思えました。

PROFILE
1940年、山ノ内町・沓野生まれ。横手山頂ヒュッテの二代目。1981年に「日本一高いところの雲の上のパン屋さん」として手作りパンの販売を本格的に始めた。志賀高原の観光振興のためにも尽力。1959年に発足した志賀高原観光協会の救助部救助隊に長年所属し、7代目の隊長を務めた。

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