信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

長野県魅力発信ブログ > 信州魅力発掘人 > 横手山頂ヒュッテ 高相重信さん > 雲の上のパン屋×ヒュッテオーナー×山 vol.2

雲の上のパン屋×ヒュッテオーナー×山 vol.2

横手山頂ヒュッテからの眺望は素晴らしく、天気が良ければ富士山や日本海、佐渡島まで見渡すことができます。スキー客の避難小屋としてオープンしたのは、1952(昭和27)年のことでした。

地元の人だからこそ、山を守り、考える

中央が横手山、その頂上に横手山頂ヒュッテがある

- そもそも、この場所に山小屋を作ろうと思ったのは?

戦後、山頂に電電公社、今のNTTが無線中継所を作る工事を始めました。父がそこで、物資輸送の責任者として仕事をしていました。当時、比較的裕福な人たちが観光で来ていて、山頂まで登って、「(電電公社の)休憩所で休ませてほしい」って言うんです。でも、そういうふうに使うのも良くないってことで、作ったのが避難小屋です。私が小学校5、6年生くらいのときでした。

- それが出発点だったんですね。

小屋を作った翌年には、遭難事故の救助を体験しています。当時、志賀高原ではゲレンデスキーよりも万座や草津へのツアースキーが主流でした。予約したお客さんを地元の人が案内していたんです。草津にお客さんを送っていった帰りに遭難するということもありました。

- そういうこともあって、救助隊にもずっと携わっていらっしゃるんですね。

立ち上げの段階から関わっています。場所柄、そんなの知らないよとも言えないし、地元の人たちからすると「明日は我が身」という感覚もありました。いかに山を安全に守るか。我々がやらないと、お客さんが来てもかわいそうというか…遭難して、いまだに見つかっていない人が何人もいるわけですから。

- 山の中のことは、地元の人だからこそ分かる部分も多そうです。

ある地点にいたことが確認できて、その先が分からないときに、本来のルートはこっちだけど間違って行くならこっちだろうということは予測できるんです。我々は、山中で迷いやすいところを知っているので。人間、道に迷ったときにはなるべく歩きやすいところを歩こうとする。それで動物の通り道、いわゆる獣道を歩いてしまうんですよ。

- 今年は、熊の被害もよく聞きます。

熊もたまに遊びに来るけど、我々に危害を与えることは過去に一度もないし、実際に出くわしたこともありません。でも、遠くに熊がいるってことは分かる。野生動物の独特なにおいがしてくるんです。山の人間は、野性的本能というのか、そういうところは人一倍敏感なんです。

- 今は、シーズン中はずっと山小屋に?

1年の3分の2はここにいます。まあ、現住所もここなので(笑)。

- ずっと山小屋にいて、最近、感じることはありますか?

ワンゲルが盛んになったときは大学生がたくさん来て、それが一時下火になって、今は山ガール。やっぱり女の子が魅力を感じないと、ブームにはならないのかな。最近は若い人が増えました。ここは、本格的な登山の前に自分がどのくらいできるか、試すような場所だと思います。2000メートルラインをまず歩いてみる。もし何かあっても、避難する場所もあるし自動車を呼ぶこともできますから。高い山へ行きたいけど、大丈夫かなってトレーニングする場所ですね。簡単なハイキングとか…、今はトレッキングって言うのか(笑)。

- 志賀高原というと、ウインタースポーツの印象が強いです。

長野オリンピック(1998年)があったので、世界的にも知名度はあるはずなんだけど、夏山となると、北アルプスや八ヶ岳のほうになっちゃいますね。本当は、夏はスキー場を歩いてもらえるようにしないといけないと思っています。

- 夏は夏で、楽しめるように。

スキー場を閉鎖して夏は上がらせないとか、歩いちゃいけないというのではダメ。花を植えたり、散策路を作ったりしてアピールすると、だんだんスキーシーズン以外の魅力も出てきます。それに、これからが一番いいシーズンなんです。夏は落葉樹が生い茂っていて林間を歩いていても景色があまり見えない。葉が落ちると、眺望がきくようになるので、9月半ばから10月半ばくらいまでが山歩きには一番いいですよ。

- 360度、これだけ見渡せるというのは大きな魅力です。

あと、歌手のみなみらんぼうさんは、日本の百名山を眺めるなら横手山がベストだと言っています。若いときに百名山を登った人が、年をとってここへきて、「あの山に登ったんだ」という話ができる。皆、見たいんだよね、昔登った山を。


昭和40年代、動物の乱獲がひどくなったころには志賀高原の自然保護指導員として動物保護の看板を立てたという高相さん。「自然保護という名の下でやたらめったらやっていてもダメで、バランスが大事」と話します。ほかに、自動販売機やゴミ箱の撤去、電柱の地中化なども行ってきました。環境保全にも力をいれる高相さんに、次回は志賀高原の“これから”を伺います。

PROFILE
1940年、山ノ内町・沓野生まれ。横手山頂ヒュッテの二代目。1981年に「日本一高いところの雲の上のパン屋さん」として手作りパンの販売を本格的に始めた。志賀高原の観光振興のためにも尽力。1959年に発足した志賀高原観光協会の救助部救助隊に長年所属し、7代目の隊長を務めた。

LINEで送る

このブログのトップへ

CLOSE