諏訪を体感!よいてこしょ!! 諏訪地方の新鮮な話題を 私たち職員がお届けします。

諏訪を体感!よいてこしょ!!

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諏訪の山怪

 その年はいつになく暑い日が続いて、また豪雨や地震による災害で、亡くなった方も多い年でした。これからお話するのは、ようやく厳しい残暑も終わって、涼しい秋に向かおうとする時期のことです。
 私は仕事で、その日は、山に居るシカの数を調査することになっていました。日が暮れてから自動車で山道を移動しつつ、木の間をサーチライトで照らしてシカを確認するのです。私ともう一人、Hさんという女性が組んで、調査にあたることになりました。
あたりが夕闇に包まれるのを待って事務所を出発し、Kヶ峰に至るつづら折りの山道を、自動車のエンジンをうならせて登っていきました。たまにすれ違う車が、スピードを出して下っていきます。ふと、ヘッドライトの先に、光を浴びた小鹿が現れました。動ぜずにまっすぐこちらを見ています。二つならんだ小さな目が、ライトを反射して黄色く光っています。
「危ないなあ。車が近づいても逃げようともしない」
「車に慣れちゃったのかな」
 クラクションを鳴らしてシカを追いやり、なおもしばらく山道を走らせていくと、薄く靄がかかってきました。
「ちょっとガスってきましたね」
「これくらいなら、なんとか見えるかなあ」
 午前中まで雨が降っていたせいか、霧がまきやすい状態だったのです。これ以上霧が濃くなると何も見えなくなってしまうので、せっかく来たのに無駄足にならないことを祈りました。
 調査を始める地点に到着したのは夜の7時を過ぎていました。あたりはとっぷりと暮れて、物の輪郭がわからなくなっています。器材をトランクから下ろすために車を降りると、肌寒さに体がぶるっと震えました。ときおり行きかう車のライトが通り過ぎる以外は、人の気配はありません。かたわらでゴォゴォと谷川が流れる音がしています。風も少し出てきて、木々がこすれあうギィギィという音がそこに混じります。寂しさのあまり、そこはかとない不安が胸のなかに黒雲のように湧きあがってきました。それを振り払うように、「じゃ、始めますか」と言って、再び車に乗り込みました。
 私が運転し、Hさんが窓からライトを差しだし、山の木立ちに向けます。調査区間の全長20キロほどを、10数キロのスピードでゆっくり進んでいきます。ライトがあたると木の間闇(このまやみ)にシカの目が光るので、それを数えます。ただでさえ寒いのに、窓を開けて走るので冷気が車内に流れ込んできて、いっそう寒さが増します。
 そもそもなんでこんな調査を行うかというと、かつてシカは保護されたために増え続け、今や食害に悩まされるほどになっているので、被害対策のために生息数を把握する必要があるのです。
「いたいた。ちょっと止まってください。2、3、4・・・5頭いました」
 Hさんが頭数を地図に落としていきます。ライトを向けられて光る目が、樹間からいくつもこちらを見ています。目だけが光るのですからちょっと不気味です。目が光るのは暗闇でも見えるために光を集めているからです。ネコも目が光りますが、かわいいネコに魔性のイメージがあるのは、目が光るからではないでしょうか。シカも古来、神聖な動物とされていますが、光る目にもその理由の一端があるかもしれません。
「ここはよくいるところだけど、今日はあんまりいませんね。どっかに移動しちゃったのかな」
 人里をだいぶ離れて山の中に入っているので、あたりを走っている車はほとんどいなくなりました。夏が終わり、ひとけのなくなった別荘がちらほら点在するだけです。私たちは山側をライトで照らしつつ低速で走行しているので、事情を知らない人が見たら、何の儀式かと不思議がるでしょう。
 開始して1時間くらいたったころです。霧がとたんに濃くなり始めました。一寸先も見えないとはこのことです。ヘッドライトが霧に拡散して幻想的な雰囲気すら感じさせます。
「こりゃすごいな。全っ然先が見えない。今日はもう中止かな」
 そのときです。どこかから聞きなれない音が聞こえてきました。それが次第に大きくなってきたので、私は驚いてあたりを見まわしました。
「なんだ、この音」
「どこから聞こえてくるの」
 きょろきょろしていると、後ろからライトが近づいてきて、にぎやかな音とともに私たちの車を追い越して行きました。荷物を積んだ大型のバイクでした。ツーリングでしょうか。こんな時間にこんなところを走るとは奇妙だなと思っているうちに、あっというまに赤いテールランプは霧に消えていきました。同時に音の正体もわかりました。Jポップだかロックだかを、そのバイクが大音量で鳴らしていたのです。
「へんな人もいるもんだな。夜中にこんな道をオートバイで通るなんて。しかも音楽をガンガンかけてるし」
「クマよけに音を出しているのかしら。それにしても場違いね」
「泊まる旅館がなかったのか。まさかこんな山で野宿でもするつもりとか」
 バイクによる束の間の撹乱のあとは、再び夜のしじまが戻りました。
 また、しばらく車を走らせていくと、あたりが開(ひら)けてきました。森林が終わり、周囲にススキの草原が広がっています。近くには太古からの遺跡があって、中世には神事がおこなわれていたと聞いています。
 あれほど深かった霧が嘘のように晴れてきました。Hさんの向けているライトの光はススキの原に一直線の筋を作って、光の先は虚空に消えています。
「いつもは、ここにたくさんいるんだけどなー。ちょっと待って、あ、いたいた。5,6頭います。止まってください。もっといそうなんで。あれ? なんだろう」
と言ったきり、左右にライトを動かしていたHさんの手が止まり、しばらくひとところを照らしだしています。するとHさんは、
「もうういです。早く。すぐ出してください」
「どうしたんですか」
「いいから!」
 Hさんは尋常ではない様子です。そのとき、車の後ろのほうでガンッという物があたる音がしたので、私はあわてて車を発進させました。Hさんは小刻みに震えています。開けた窓から入る冷気のせいばかりではなさそうです。
 しばらくして調査の終点に到着しました。時計を見ると、針は8時半をさしています。下界ではまだ小学生でも起きている時間ですが、山の上では私たち以外、動くものは他にありません。調査を終えた私たちは、急ぐように事務所へと戻りました。
 事務所につき、明るい蛍光灯の下で見ると、Hさんはいくぶん青ざめた表情をしていました。そういえば帰りの車の中でも、冗舌なはずのHさんは黙りこくっていました。
「今日は40頭ほどいましたね。最近減ってるようですね」
 私が言うと、Hさんは「そうですね」と言って、しばらくおいて「実は」と切り出しました。
「あそこの湿原でへんなものを見たの。道から離れたところにシカが5,6頭いたんだけど、シカに混じって、少し高いところでも目が光っていたの。へんだなと思って、そこがよく見えるように照らしたら、おかしな服を着た、大柄な男の人が立っていたの」
「人? そんなとこにいるわけないでしょう」
「私もそう思うけど、人じゃなかったら、人の形をしていた何かね。人間だったら目は光らないから。それに、片手に槍を持っていて、こちらに向かって投げようとしていたのよ」
「何だろう。係長がぼくたちを驚かそうと思って、あそこにスタンバっていたのかな」
「そんな。肝試しじゃないんだから。あそこに一人で準備しているほうが怖いわよ」
「そういえば、あのとき車に何かあたった音がしましたね。あしたの朝になったら見てみます」
     * * *
「で、その大きな男が縄文人の生き残りだったっていうんですか?」
 翌日になって車を確かめると、ボディーに、鋭くとがったものがぶつかった跡がありました。私は庶務のIさんに昨夜の顛末を話し修理をお願いしたところ、Iさんはケラケラ笑ってとりあってくれないのです。
「Nさん、作り話はもう少し上手にしてくださいね。自分でやっちゃったんでしょ」
「いや、違うって。Hさんに聞けばわかるよ」
 ところが、肝心のHさんは至急の用事ができたとかで、今日になって3日ほど休暇をとったのです。そして休み明けに出てきたHさんは、すっかり忘れたような顔をしていたので、私はずいぶん肩身の狭い思いをしたのです。
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5階怪談研究会著
(この話はフィクションです。)

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