2016.05.23 [ 南信州の食・味・お土産 ]
新緑の「トンキラ農園」で舌鼓!!
施設の隣の畑では、岐阜から見えた夫婦が畑の作業をしており、「ルバーブ(和名:食用大黄)」が花をつけていました。茎をジャムにすると美味しいそうです。
「トンキラ農園」の歩みについて、2016.5.16(木)付け南信州新聞の「ありふれた日々のなかで⑦~庸平さんから学んだこと~高橋寛治」から引用させて頂くと、
「昭和62年、村中の人が集まって「村づくり計画」を議論し、それまでの観光立村から教育立村を目指すことになった。そこで村民一人ひとりが村に住み続け、その意味を確認する場として生まれたのがトンキラ農園であった。浪合村の職員として近藤庸平さんは、山村にとっての過疎化や高齢化をどのようにして主役に置くことができるか問われることになった。それは村民自身が「自分たちが主人公となって生き生きと魅力的に生きれば、そこに自ずと交流が生まれ、人を感動させることができるのではないか」という仮説。そうした取り組みを「運動や思想に結び付けていく生き方を大切にしよう」とする理念からトンキラ農園は動き出したと語る。~中略~限られた資源で生活を続ける山村において、他との差別化できる資源は「人」でしかなく、山村の主体は長い間の経験と知恵によって裏打ちのされた「高齢者」こそが資源と言える壮大な実験であった。~以降略~。」
また、同シリーズ2016.2.12(金)付け南信州新聞の「ありふれた日々のなかで①~庸平さんから学んだこと~高橋寛治」では、
「トンキラ農園」は周辺の畑や山と一体化した農村景観の形成であり、畑の農産物を加工してお客様に提供するのは、25年後の今取り組まれている6次産業化の先駆けであった。
と記述されており、「トンキラ農園」が全国の代表的な6次産業の先駆けの代表であり、当時は、全国各地から視察に訪れたことからも頷けます。
そして今、計画が立てられた昭和62年生まれの木下さんが地元の方から田舎の伝統文化を受け継いで、運営管理しているのも何かの縁なのかもしれないですね。
皆さんも、ふるさとの原風景の中で、古くから伝わる郷土の料理を五感で味わってみてはいかがですか!
上記の記事の中で紹介し、「トンキラ農園」計画に尽力された浪合村の職員だった近藤庸平さんは、去る2016.1.15に66歳の若さで惜しまれつつこの世を去りました。安らかなご冥福をお祈りします。
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