じょうしょう気流 「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

じょうしょう気流

「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

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上小ふしぎ発見!?(その12) あの銀行の発祥の地?

ミステリーハンター見習いのKです。

 テレビドラマ「半沢直樹」がヒットし、バンカーや銀行のことが話題になっていますが、以前、ある銀行の方とご一緒したとき「当行の本支店で発祥の地にあるのは私どもの支店だけなんです。そんな発祥の地で働くことができることは、私どもの励みになっています」とお話しになっていたことを思い出しました。
今回はその銀行のご紹介です。

その銀行は、今年8月に創立82周年を迎えた八十二銀行です。たまたま8月2日にある支店を利用したときには記念品をいただきました。

 八十二銀行は、名前に数字が入った2つの銀行が合併し、その銀行の数字を足した「82」を行名にしたことは知っていましたが、具体的な行名までは覚えていませんでした。調べてみると、第十九銀行六十三銀行でした。

この行名は、両行が合併の相談に乗ってもらっていた三菱銀行の頭取の「数字を足したらいいじゃないか」との提案によるとのことで、「一つ大きかったら八十三、破産銀行。一つ手前で止まってよかった」という逸話もあります。

さて、第十九銀行ですが、前身は第十九国立銀行で、初代頭取の早川重右衛門ら佐久地方の商人・地主10人が発起人となり、当時生糸集積の中心地であった上田に本拠地を置くこととし、明治10年(1877年)11月に長野県管下北第11大区4小区上田町100番地で開業しました。当時は住所をこう表記していたんですね。

ところで、この国立銀行ですが、国がつくり経営した銀行ではなく、明治5年(1872年)の国立銀行条例に基づき設立された民間銀行で、当初は兌換紙幣の発行も認められていました。なお、営業期間は免許の日から20年間とされていました。
明治12年(1879年)までに153行が設立され、設立順の番号を行名に付していたことからナンバー銀行と言われ、現在まで続いているのは次の6行です。

第四銀行(新潟市)、十六銀行(岐阜市)、十八銀行(長崎市)、七十七銀行(仙台市)、百五銀行(三重県津市)、百十四銀行(香川県高松市)

行名に数字の入った銀行は、この6行と八十二銀行のほかに、第三銀行(三重県松阪市)がありますが、こちらは国立銀行に由来するものではありません。

閑話休題

第十九国立銀行ですが、営業満期の前年の明治30年(1897年)に私立銀行に転換し、第十九銀行に改称しました。


 この第十九国立銀行発祥の地にあるのが現在の八十二銀行上田支店で、同支店の駐車場には胸像と石碑があります。
 

胸像の人物は、第十九国立銀行の発起人の一人黒澤鷹次郎翁で、同行の第三代頭取、そして第十九銀行の初代頭取として通算30年余経営に当たった方です。
黒澤翁は、その後各地に広がる繭担保貸出や、本県倉庫業の嚆矢となる倉庫会社を設立し、製糸金融の拡大を図りました。そして、国立銀行時代からの「着実ヲ旨トシ危険ヲ避ケ漸進ノ」経営方針は、第十九銀行にも引き継がれ幾多の難局に際してもこれを堅持し乗り越えています。

碑文には翁の人柄・功績が記され、臨時株主総会を開いてその姿と功績を末永く伝えるため胸像と石碑の建立を決めたと書かれています。

もう一つの六十三銀行ですが、こちらの前身は第六十三国立銀行で、明治11年(1878年)12月に長野県管下北第13大区4小区松代町331番地(現在の長野市松代)で開業しましたが、その後経営が悪化し、明治26年(1893年)に稲荷山銀行に救済を仰ぎ、本店を稲荷山町(現在の千曲市稲荷山)に移しています。そして、明治30年(1897年)に私立銀行に転換し、六十三銀行に改称しました。こちらには「第」が付いていません。その後、本店を長野市(現在の八十二銀行長野支店)に移転しています。

この2行が合併し、八十二銀行が誕生したのが、昭和6年(1931年)8月1日で、本店は旧六十三銀行本店におかれました。当時は、第一次世界大戦後の不況に関東大震災が重なり、さらに昭和4年(1929年)に発生した世界恐慌が追い打ちをかけ、県内最大の銀行であった信濃銀行が倒産するなど、長野県は「全国一の不況県」と言われるような状況であったそうです。


 そうした厳しい状況の中、従業員477人、49店舗、預金3,000万円、貸金4,000万円で船出した八十二銀行ですが、今年8月には従業員3,242人、海外拠点を含めて160店舗、預金5.8兆円、貸金4.3兆円に達し、県内シェアは預金3割、貸金4割を占めています。

昨年末の帝国データバンクの調査によると、県内企業の52.8%が八十二銀行をメーンバンクとしており、東信地区では63.4%と県内一高い率になっています。そういえば、私どもも県の指定金融機関ということでお世話になっています。

また、国立銀行の第八十二銀行も気になったので調べてみました。第八十二国立銀行は明治11年(1878年)11月に鳥取市に設立されましたが、明治26年に東京へ移転し、その後第三銀行(前記の第三銀行とは異なります。)に吸収合併され、さらに安田系11行が合同し設立された保善銀行、安田銀行、富士銀行を経て、現在のみずほ銀行に継承されています。

八十二銀行上田支店はこちら↓↓↓
住所:上田市中央2丁目2−12
電話:0268-24-1182

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