2014.02.28 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
赤松小三郎を想う(外伝)~歴史を作った上田藩主~
忠固公の後を継いだ最後の上田藩主 松平忠礼公は廃藩置県後に米国に留学、また、弟の忠厚も兄とともに米国へ行きます。特に忠厚は米国で土木技師・測量技師となり、アメリカ最古の吊り橋の一つであり、鋼鉄ワイヤー製としては世界初の吊り橋でもあるニューヨーク・ブルックリン橋の設計に際し、彼の発明した測量技術が大いに活用されるなどその活躍の場を海外に求めました。
先代の5代目松平忠学公は藩校「明倫堂」を設立、文武両道を奨励しており、赤松小三郎もここで学んでいます。
上田藩文武学校「明倫堂」跡(現在の上田市立第二小学校)
このように広い視野と深い洞察力、先を見る目を持った上田藩主がいたこと、そして、文武両道を重んじる上田藩の下だったからこそ、赤松は自分の人生を生きることができたともいえそうです。
<上田藩主居館跡(上田高校)>
住所:長野県上田市大手1-4-32
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<藩校「明倫堂」跡(上田市立第二小学校)>
住所:長野県上田市大手1-1-45
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<願行寺(がんぎょうじ)>
住所:長野県上田市中央2丁目16-14
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