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歴史的な寒沢堰へ現地調査に行ってきました!

 こんにちは、農地整備課のTです。

 6月25日(金)に八ヶ郷土地改良区等のみなさんと寒沢堰の現地調査へ行ってきました。

 ところで、寒沢堰(さむさわせぎ)とは?

 明治30年ごろに開削された農業用水路です。
 
 
 
 
 
「水路に歴史あり!」

 寒沢とは山ノ内町の南側標高700mの山腹にある集落で、湧き水が少ないため水田を広げることができず、「水さえあれば、アワやヒエを食わずに一年中米を食って生活できる」と当時の村人達は夢見ていました。

 笠ヶ岳やその手前にある三沢山にも湧水がありましたが、麓の集落がその水利権を持っていたため、寒沢には譲ってくれません。
 そこで、明治10年に新たな水源確保と新田開発の夢を実現するべく立ち上がったのが鈴木沢次郎(さわじろう)です。

 当時から笠ヶ岳の奥にある横手山の群馬県側にあるガラン沢には大量の湧き水があることが知られており、本来なら太平洋へと流下する湧き水を鈴木沢次郎は延々20kmを尾根伝いに水を引いてくる壮大な計画をたて、仲間たちとともに私財を投じて工事を始めたのです。
 当時の工事は一言で言い表せない難工事を極め、様々な先人達が引継ぎながら苦労の歴史の末にようやく完成しました。
 しかし、大雨のたびに水路が至る所で崩れ落ち、改修費用なども賄えなくなり、いつしか閉鎖されてしまいました。

 
 
 
 
「現在!」
 その後、大正14年に長野電灯株式会社(今の中部電力)が寒沢堰の水利権を譲り受け、水路を改修したうえで角間川における水力発電として利用することになりました。

 発電に使用された水は角間川から夜間瀬川へと至り、そこでの水利権を持つ現在の八ヶ郷土地改良区へとその水は引き継がれ、中野市内の水田・畑・果樹園における作物生産に欠かせない貴重なかんがい用水として利用されているのです。

 参考文献:下谷正幸著「寒沢堰と沢次郎」1974年

 今回はその寒沢堰の維持管理も兼ねた現地調査となります。


      当時は険しい斜面を等高線沿いに山腹を縫うように掘り進めました。
          現在は蓋をした水路の上を源流へと進みます。
 
 
 
 
            堰の水が角間川へと流れ落ちていきます。

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