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諏訪の学び~「岩波・筑摩・みすず」を結ぶ点と線

なるほど。でも「みすず」は女性名にもよく用いられていますし、いまさら「みすず」が誤りだなんていわれたらアイデンティティが揺らいでしまいますね。いまさらと言っても『万葉集全註釈』は戦後しばらくして出版されているからだいぶ前ですけど。少なくとも小尾は知らなかったのだと思います。「みこも書房」だったら、速水もこみちみたいで、ちょっとどうかな。

小尾は、1990年にはみすず書房から完全に身を引き、2011年に89歳で没しています。


 

〔付記1〕藤村操の死と「巌頭之感」

このところ連日のように、座間9人殺しが報じられています。被害にあわれた方は自殺願望があって、そこにつけこまれたようです。日本の15歳から34歳の青年の死亡原因の1位は自殺です。他国では事故が1位なので、この点、日本は異常です。岩波のところで、藤村操が自殺した話を書きました。ここで藤村についてもう少し述べておきます。

藤村操が自殺したのは明治36年。日露戦争の前年です。数えで18歳、満年齢で16歳10か月という若さ。藤村の後を追って華厳の滝から飛び降りた人が何十人もいました。未遂も100人を超えたようです。このため華厳の滝は自殺の名所となってしまいました。

自殺というのは感染します。岡田有希子やX JAPANのhideのような大なり小なり崇拝されている人が自殺すると、あとに続く人が必ず何人かでてきます。藤村の場合、一高生とはいえ無名でした。メディアスターでもない一学生の死が、なぜ群発自殺を生じさせたのか。

ベースには、明治という立身出世主義の時代があります。藤村の後を追った彼らは煩悶青年と呼ばれました。岩波のみならず、当時のエリート青年は、人生とはなんぞやということに真剣に悩んでいました。固定的な身分への縛りがなくなった明治時代は、勉学に励むことにより社会的な上昇が可能でした。自分の栄誉のためだけでなく、郷里の朋党からの期待も大きいものがあります。そのため挫折への恐怖が常につきまとっていました。勉学一筋の道における躓き、疑問や逃走が彼らを煩悶させたのではないでしょうか。

そうした時代を背景にしつつ、藤村には注目される大きな理由がありました。藤村は飛び降りるまえに、近くの樹の皮をはいで、次のような文章「巌頭(がんとう)之感」を幹に刻んだのです。

悠々たる哉(かな)天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此(この)大をはからむとす。ホレーショの哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーを価(あたい)するものぞ。万有の真相は唯(た)だ一言にして悉(つく)す、曰く、「不可解」。我この恨(うらみ)を懐(いだ)いて煩悶、終(つい)に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等(なんら)の不安あるなし。始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。

この「巌頭之感」は、刻まれた樹の幹が写真に撮られて絵葉書として売られ、雑誌にも載りました。メディアが一役買っていたのですね。

これまで「巌頭之感」について論じられる場合、これが樹に刻まれたもので明瞭でない部分があるため、そもそもなんと書かれているのか解釈が分かれること、また、ホレーショの哲学とは何なのか、藤村は哲学的自殺と言われたが失恋による自殺ではないか、といったことが語られてきました。

私が取り上げたいのは文の終盤です。これは自殺願望を抱く人にとって危険な文章であると思います。「既に巌頭に立つに及んで」というのは、今まさに死のうとしているところを実況中継しているような臨場感があります。これは、その気のある人に類似の行動を誘発させます。「胸中何等の不安あるなし」とか、「始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを」という論理の跳躍は神秘的で、死ぬ人に勇気を与えます。総じて、死のうとする人の迷いを払拭し、気分を高揚させ、その背中を押すものです。

前半のほうには、「万有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」」という文があります。「万有の真相は唯だ一言にして悉す」などとキッパリ言われれば一体それは何だろうと興味をかきたてられますが、答は「不可解」であるとうっちゃりをくらわせます。これでは何も言ってないのと同じです。この一文だけでは短絡的な懐疑主義としか思えません。どのくらいの深みから出てきた言葉なのかわかりませんが、行動がともなっていることが、それを深いものに見せています。ただ、文としては、内容が深いようでいて浅い、レトリックで人を酔わせるものです。

何がいいたいかというと、明治の煩悶青年たちが何かに悩み、悩みをこじらせ、少ない言葉で早まった結論をだしてしまうのは、全て言語の問題ではないかということです。言葉の使い方ひとつでもののとらえ方がまるで変わってきます。言語の問題、つまり脳内の出来事なのに、それを外界に接続し物理的に解決しようとして身体を毀損してしまうのは、取り返しがつかないことになってしまいます。

「巌頭之感」を、あくまで文章として読んだとき私が面白いと思ったのは、冒頭では「悠遠な時空間/五尺の小躯」が対立していたのに、末尾では「大なる悲観/大なる楽観」という相反するものは対立せず一致してしまうことです。この文章にある眩暈のような魅力は、この不一致から一致への飛躍が語られていることにあると思います。岩波茂雄も、この「巌頭之感」を何度も読んで泣いたそうです。

 

〔付記2〕岩波文庫と「読書子に寄す」

円本ブームをつくった改造社の『現代日本文学全集』は全巻予約させて購入者を縛るものでしたが、岩波文庫は読みたいものだけを読むという分割販売でした。岩波文庫巻末にある「読書子に寄す」にそれをはっきりうたっています。

「…近時大量生産予約出版の流行を見る。…分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである」と批判し、岩波としては、「万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し…この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする」と方針を示します。

この「読書子に寄す」は名文と言われ、パロディもよく作られていたので、高校生のころ暗唱していましたが、いま読み返すと結構挑発的で驚きます。

岩波文庫は古典が中心ですが、あまりに古くさいと批判されることもあります。そもそも古典は限られていますから、ネタ切れになること必定です。著者が生きているうちは岩波文庫に入らないと聞いたこともありますが、近年その縛りは少し緩くした感じがあります。


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