信州魅力人

信州の魅力、それは長野県内で頑張るつくり手たちの魅力。そんな魅力人の想いをお伝えします

富士見町は信州の玄関口「元気をつけないかん」

先祖代々ずっと富士見町で暮らす名取栄一さんは1928(昭和3)年生まれの83歳。「元気を出すぞ蔦木宿の会」を立ち上げてから7年、熱心に活動を続けています。「友達がいてくれて、やることなすこと、本当にうまくいきすぎた」と話す名取さんに、会がこれまで取り組んできたことや、これからの「蔦木宿」について、引き続きお話を伺います。

富士見町は信州の玄関口「元気をつけないかん」

蔦木宿は江戸時代、1611年に設置されたんですが、江戸から来ると信州の玄関口となる宿駅だったんです。でも、鉄道・高速道路の開通や街道の道路改良などにより宿駅の面影はすっかり薄れてしまいました。「元気を出すぞ蔦木宿の会」を立ち上げたのは、その名の通りで「なんとか活性化して、元気をつけないかん」と思って。

-最初に屋号の復活を行っていますが、どうして屋号を?

元気を出すぞ蔦木宿の会(諏訪郡富士見町) 名取栄一さん蔦木宿中程にある屋号と街並の案内看板

私は「島田屋」という屋号だったんですが、仲間内ではお互いに屋号で呼び合いをしていました。「名取」じゃなくてね。電話でも「やいやい、島田屋だけど」と言っていましたし。普段の生活で屋号がほとんど残っていたんです。100軒ほどある中で97、8軒くらいは言い伝えで残っていて、今はわからないというところでも少し調べたらそれがわかって。そこで、まず屋号を復活させようということになって、各家に看板を取り付けることにしました。

木を削って看板を作るのは大工さん、字を書くのは書道の先生、それぞれ分担して地元で全部やりました。看板の木の板は、私の山に生えていた杉の大木を2本切り出して、製材は富士見町の矢沢製材にお願いしました。

-町の小学生も一緒にやっているんですね。

後世につないでいくためには、子どもも一緒に巻き込んでやらなきゃいけないと思って、小学校にも「一緒にやろう」と話を持っていきました。そうしたら話を聞いた校長先生が大賛成してくれて、小学生も一緒に協力して看板を設置しました。

看板ができた後、柿梅並木の復元を行いました。昭和30年代までは甲州街道沿いに梅や柿の木が植わっていたんですが、交通量が多くなって道路を広くしたときに、随分切ってしまったんですよ。今になればもったいないと思うけど、当時は仕方なかったわけでね。それで、かつてのように復活させたいという話もあるけど、結構なお金がかかる。じゃあ甲州街道は難しいけれど、旧甲州街道のところなら可能かもしれないということで、梅と柿の並木の復活を始めたのが2006(平成18)年。100年近い梅の古木もあって、移動させたり、小さいのを植えたりしてね。ようやく格好がついてきて、今年は梅の花見などもできるかなという状況になってきました。屋号にしても、柿梅並木にしても、昔の面影を少しずつ復活させてきているということですね。

魅力のある種があるから「元気を出していこう」と言える

-名取さんは生まれも育ちも富士見町ですか?

元気を出すぞ蔦木宿の会(諏訪郡富士見町) 名取栄一さん

先祖代々ずっと富士見です。私は昭和3年生まれですが、戦時中もずっと、学校も、成人式も富士見です。

富士見のいいところは自然。空気と水がいい。でもこれは「当たり前」って言われて、富士見の町民は感じていないわけです。当たり前というのは、良いとか悪いじゃなくて、それが普通ということ。特に何も感じないんですよね。私の家の2階から富士山が見えますが、それも当たり前ということになってしまう。私の家内は、富士山の見えないところから来たから「素晴らしい、素晴らしい、うちのおじいちゃんやおばあちゃんに見せたい」って言うのに。

外から来た人は景観・水・空気がいいと第一に言います。町としてはそういうものをPRしていけばいいと思うんですがね。でもそんな気持ちと、町の人の気持ち、両方うまく組みとって売り出していかないといけない。「富士見町には魅力の種がある」という気持ちが、私の中に働いているんです。それがあるからこそ「もっと元気を出していこう」と言えるんだと思います。

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