2011.01.12 [ 多分、日本一 ]
安曇節の歌詞数
安曇野の民謡「安曇節」は、大正十二年に故榛葉 太生(しんは ふとお)氏によって創設された松川村発祥の民謡です。
その唄の歌詞は、保存されているものだけでも、なんと五万首を超えるんですよ!
中央の太鼓を演奏しているのが榛葉氏
古い民謡が次第に衰退していくのを残念に思った榛葉氏は、古くからこの地方で唄われていた仕事唄のいいところを活かし、かつ高尚な趣味としても満足の出来る民謡を作ろうと考えました。
作詞、作曲は専門家に頼らず広く地域から募り、また、踊りについても同好有志や村の人々と知恵を絞りながら創作しました。
このように唄、曲、踊りと全てを地域の人が考え、創られていった民謡は「安曇節」だけではないでしょうか。そこには、特に村の方々の大きな協力があったそうです。
また榛葉氏の勧めもあり、各地区では定期的に詞(うた)作りを楽しむ会「踊り会」が開かれ、その詩の数は年とともに増えていきました。
さらに安曇節は、男女差別が厳しく、女性が文芸活動に参加しにくかった時代に、農村の女性が詞(うた)づくりの主役となっていました。このことも安曇節の大きな特色です。
このように、テレビもない時代に、男女を問わず誰もが楽しみとしていた、「民衆のための民謡」であったということが、今も多くの歌詞が残る理由のひとつだと思われます。そして今も、安曇野地方を代表する民謡として広く親しまれています。
現在、安曇節の歌詞は松川村教育委員会に保存されているものだけでも
安曇節保存会の皆さん
松川村では「安曇節発祥の地」として、この民謡の唄と踊りを無形文化財に指定し、安曇節保存会の皆さんにより各所で踊りの普及活動をしています。
長野県では、誰もが県歌「信濃の国」が歌えますが、松川村では子どものころから、安曇節の詞(うた)づくり授業があったり、小学校運動会の全校ダンスで「安曇節」を踊るため、誰でも「安曇節」を唄ったり、踊ったりできます。
松川ふるさと祭り
また、村民有志が集まり、脚本、演出、衣装を手がけ、榛葉太生氏の一生を描いた村民劇「安曇節ものがたり」を発表もするなど、大人も子どももこの民謡を色々な形で大切にし、地域の民謡として親しんでいます。
安曇節の一部を紹介します。↓
(写真↑)
「音頭とりましょ~響くほど」(5行目)で1首と数えます。その数が一説では、十万首以上!
(写真↓)1首をこの楽譜で、唄います。
※どちらも写真をクリックすると拡大します。
松川村公式webサイト
正調安曇節CD発売(松川村公式webサイト)
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