皆さんこんにちは!農地整備課の歌舞伎揚げです。
まだまだ寒い日が続きますね…朝、毛布と体を引き離すのに日々格闘している今日この頃です。
さて、私こと歌舞伎揚げは、1月21日(火)に、上伊那の農業資産の現地調査に同行させてもらいました!今回の記事では、その日訪れた農業資産について紹介させていただきたいと思います。
ただ、上伊那には、素晴らしい農業資産がたくさんあります。全ては紹介しきれないので、2つに絞って紹介させていただきます!
農業資産①:新井(しんい)用水
新井用水は一級河川「与田切川」から取水し、203.5haの水田地帯を潤す約2.4kmの幹線用水路です。幹線用水路とは、水を必要とする地域全体の水量を流すことができる水路のことを言います。葉脈の中央の筋をイメージしていただくとわかりやすいかと思います。
この水路は一部が明治27~40年頃開削された素掘りの隧道(ずいどう)※になっています。開削から現在まで120年余り!!歴史があります…! ※ここでは水路のトンネル
写真だけではわかりにくいと思いますが、この隧道の入り口は山林の傾斜地にあります。おそらくは現在ほど山道も整備されていなかった明治時代、山を登るだけでも大変なのに、田に水を引くために鑿(ノミ)やツルハシを使って命懸けで水路トンネルを掘ったんですね…。
当時の人々にとって、稲作は「生活の一部」ではなく「生活そのもの」であったことが察せられます。特に田を潤し稲を育てる水の確保に関しては、執念といっていいものを感じます。
こちらは素掘りでなく整備された水路ですが、同じく新井用水の落差工(らくさこう)です。階段水路とも呼ばれます。呼び名の通り、水路が階段状になっています。
先述のとおり、新井用水は傾斜地にあるため、水の流れが急になり、流水速度も増します。すると、水の流れによる水路の浸食も比例して早く進んでしまいます。
そうした事態を阻止、または和らげるためにあるのが落差工です。階段状の構造にすることによって、流水速度を緩やかにします。
落差工は水路としてそう珍しい形状のものではありませんが、写真のように下から見上げるとなかなか迫力があります。
先人たちの苦労が偲ばれ、整備箇所には工夫が感じられる新井用水ですが、素掘り隧道箇所は洗堀(せんくつ)※や崩落が発生しとても危険な状態です。また、現在の水路は昭和40年代に改修され、造成後50年余りが経過しているため、経年劣化による水路の摩耗(まもう)やひび割れが生じています。 ※激しい水の流れにより、河岸や河床などの土砂が洗い流される現象のこと
最初に説明したとおり、新井用水は幹線用水路…葉脈における中央の筋であるため、ここに何かあると、周りにあるほぼすべての水路に水が行き渡りません😫
そのような事態を防ぐため、農地整備課では水路の更新・整備を計画しています!現在の素掘り隧道箇所とは別に、コンクリート等で補強されたトンネル型のバイパスをショートカットで作ることによって、崩落の危険性を下げるとともに、用水の安定供給と水路の維持管理にかかる労力を軽減するのが目的です。
現在はまだ設計の段階であるため、工事の着手にはもう少し時間がかかりそうですが、今とどのように変わるのか、楽しみですね😊
農業資産②:千人塚城ヶ池(せんにんづかじょうがいけ)
こちらはご存じの方も多いのではないでしょうか。
平成22年に全国ため池百選にも認定された、千人塚城ヶ池です。
農地整備課では、この千人塚を含めた、上伊那の5ヶ所のため池をカードにした「ため池カード」も作成しています。(ため池カードについてはこちら!→「数量限定!!上伊那地域のため池を訪れて、ため池カードをGETしよう!」)
この日訪れた千人塚は、冬の寒さのためか一面結氷していました。ため池カードの色彩豊かな写真とはまた違った趣(おもむき)があります。
実は、歌舞伎揚げにとって千人塚は、幼少時、近くのコテージを借りて友人一家とアウトドアを楽しんだ思い出の地でもあります。
しかし、きゃあきゃあと落ち着きがない歌舞伎揚げに、父が「千人塚」の地名の由来を話し、震え上がった記憶もよみがえります。
以下、HP水土里ネットながのより、千人塚の由来の一つを抜粋します。
「千人塚」の由来は定かでないものの、戦国時代に織田信忠軍が伊那に攻め入った戦の際に、戦死者や武具をこの地に埋めたところ、以来悪疫(疫病)が流行、霊の祟りを恐れた巫女が「千九人童子の碑」を建て、以降供養を続けていることによるとも言われています。
(HP水土里ネットながの「二つのアルプスを眺む 千人塚城ヶ池」より)
「千人の亡者が夜になると嘆いているんだよ…」と歌舞伎揚げの父はおどろおどろしく言いました。おかげで歌舞伎揚げはその日、なかなか寝付けませんでした。
歌舞伎揚げの父は子どもに落ち着きを持たせようと少々脚色を加えて大げさに話しましたが、実際、そうした逸話が伝わるほどに歴史がある場所でもあります。
現在のため池は昭和初期にこの地にあった北山城の空堀を利用して作られました。中央アルプスと南アルプスを背景に、四季折々の花や景色が楽しめる素敵な場所です。令和4年には今流行りのグランピング施設もオープンしました。
この記事をお読みの皆さんも、興味を持たれたらぜひ訪れてみてください。そして、お子さんと一緒に訪れる方は「千人の霊が~」などと言って無暗に驚かすのではなく、
「ここでは昔たくさんの人が戦で亡くなった。亡くなった人たちが安らかに眠れるように祈ろうね」
と手を合わせ、瞑想してみてください
ここまでお読みになって、いかがだったでしょうか?
歌舞伎揚げも、現地調査に同行させてもらったことによって、改めて上伊那の農業資産の魅力を知ることができ、とても勉強になりました。
しかし、冒頭でも述べたように、上伊那にはこの二つ以外にもたくさんの素晴らしい農業資産があります!!
機会がありましたら、ぜひまた紹介させていただきたいと思います😉
この記事を読んでくれた方が、少しでも上伊那の農業資産に興味を持ってくださると幸いです😊✨
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