2013.06.10 [ 環境課 ]
「一人の百歩より百人の一歩」(その1・ごみの気持ち)
環境課のR生です。初めての環境部署でもう2か月経ち、6月は環境月間なので、ブログデビューしてみます。この仕事の主戦場は何と言っても「ごみ」であり、夜中までごみのことを考え続けると朝も起きられません。
さて、毎年5月30日は語呂合わせで「ごみゼロ運動の日」であり、この日を中心に各地で環境美化活動が行われます。私も上田駅の清掃に参加してきました。駅前の大型店が移転して人の流れが変わりましたが、駅はまちの顔で、ロータリーや植栽には人の手が入っていて、たばこの吸い殻を除いては、ポイ捨ての空き缶等はほとんどありませんでした。吸い殻を拾い上げながら、昨晩の夢を思い出していました。
ごみの精「僕たちとの付き合い方、教えてやろうか。」
R生「ぜひお願い。」
ごみの精「僕たちは、とっても淋しがり屋なのさ。道ばたに空き缶が捨てられたとするだろう。すると空き缶は淋しくて心細くて、通りがかりの人間に悪魔のささやきをするんだ。『ポイ捨てしても誰も見てないよ。あなただけじゃないよ。捨てちゃえ、捨てちゃえ。』って。」
1個が2個、2個が3個になると魔力がアップしてもう収拾がつきません。あっという間に辺り一面「私設ごみ捨て場」(=不法投棄)と化し、元通りにするコストが甚大になります。
淋しがり屋の話は、人間自身にも財布の中のお金(=お金はあるところに集まる。)にも通じるものあります。考えてみると、ごみは人間の生活・活動の結果であり、例えば、空き缶はお金で買った缶ジュースの残骸ですから、人の手を介するうちに似たような性格を帯びるのでしょう。
不要となった物は、所定のごみ箱に分別して捨ててあげれば、そこは仲間と一緒の終の栖(すみか)であり、リサイクルされて次の物生(有価物からごみまでの生涯)を待つ間、達成感でしあわせ一杯だと思うのです。
ごみとは一生の付き合いですから、一人ひとりが最初のポイ捨てを止める、ごみを見つけたら即座に片付けることこそが、キープクリーンの極意ではないかと確信しています。
PS タイトルの「一人の百歩より百人の一歩」は、環境課へ来て出会った言葉で、全員参加型の環境行政を進めていく戒めとして肝に銘じています。また、名前のR生は本名の音読みですが、リサイクルの頭文字にも由来しています。(その2・時期未定に続く。)
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