2013.04.22 [ 職員のみつけた情報コーナー歴史 ]
保福寺街道その1
保健福祉事務所のNです。「じょうしょう気流」初登場です。
この地域の隠れた歴史遺産をご紹介したいと思います。第1回は、街道編として、「保福寺道」その1。
保福寺道は、江戸時代に上田から松本に通じた道です。概ね昔の令制東山道の道筋と同じです。上田からは松本街道とも呼ばれています。上田城下から3回に分けて青木まで歩きました。
初日は、上田から中之条まで。まず、上田城の北虎口から旧百軒掘の土橋を渡って北国街道へ出ました。西脇、新町を抜けると矢出沢川に架かる高橋に至ります。ここが北国街道と保福寺道の分岐点で、万延元年(1860年)の「北向観音道」と書かれた道標があります。
(左 北国街道を望む) (右 保福寺街道を望む)
真田信之の妻女小松姫のお墓があることで知られる坂上の芳泉寺を参拝して、坂下に降ります。江戸時代は、千曲川を渡っていたのですが、今はそうもいきませんおでので、諏訪部の諏訪泉神社に詣でてから古舟橋を渡りました。左に折れて中之条の集落に入り、無住になった阿弥陀堂に額づきました。
(歩いたこの日は、奇しくも平成23年3月11日でした。上田原に近づいたところで風が冷たいので切り上げて、段丘を登って別所線の赤坂上駅に佇みました。電車の到着時間になってもなかなか来ないので変だと思ったら、地震の影響で遅れているとの放送。まだ事態を何も知りませんでした。)
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