北信州からごきげんよう 北信地域の現地機関からのお知らせとともに、千年風土の豊穣の地「信越自然郷」の魅力をお届けします。

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楓蔦黄(もみじつたきばむ)頃 北信合同庁舎に佇む『下髙井唱歌』の碑

唱歌P1030379

 

 

 

 

 

 

 

~碑銘~

下髙井唱歌の碑

下高井郡は 明治十二年の太政官布告により高井郡が上・下高井に二分された地域で 同二十二年の町村制施行による町村合併によって一町十九ヵ村に統合編成され 近代的町村の幕開けとなりました

日清戦争後 信濃教育会に唱歌教育の動きが高まり 明治三十二年に浅井冽作詞による「信濃の国」が発表されました その流れを汲んで唱歌教育に力を注いでいた藤沢倉之助(現山ノ内戸狩)が 明治三十六年に「下高井唱歌」を作詞し 早川喜左衛門が作曲して発表し 大正時代までは小学校や青年会などで盛んに歌われました

昭和二十九年には 新市町村合併促進法によって中野市が誕生したのを始めに 三十一年までに次々と町村合併が進み 郡境を挟んで飯山市・栄村が生まれ 郡内では山ノ内町・木島平村・野沢温泉村が発足するなど 地図はすっかり塗り替えられました

こうした歴史の変遷の中で下高井唱歌は次第に忘れられ 今この歌を知る人は高齢者の一部となり やがて消え去るかも知れません

しかしこの唱歌の歴史的な重みから それが消滅することを憂慮し 後世に伝える意義の大きさを考えた旧下高井郡民の有志数百名が会員となって この歌碑を建立いたしました

平成十二年九月二十一日

下髙井唱歌の碑を建てる会

 

 

 

 

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