じょうしょう気流 「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

じょうしょう気流

「上小(じょうしょう)地域」と聞いて、みなさんは長野県のどの地域を思い浮かべますか?「上小地域」は、上田市、東御市、小県郡長和町、青木村の2市1町1村からなり、群馬県の西側に接する地域です。「上小」には自然、歴史、文化、おいしい農産物など、さまざまな魅力がありますが、それらを上田合同庁舎の職員の目で見て綴り、皆さんにご紹介してまいります。

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かずちゃんからの質問2~上田市の水道のこと~上田市諏訪形は、なぜ県水ではないの?上田水道管理事務所

みなさん、こんにちは。

上田水道管理事務所のKです。

上田市諏訪形にお住いの「かずちゃん」さんから当方にいくつかご質問をいただき、それにお答えしている「かずちゃんからの質問シリーズ」の第2弾。

本日は、「県営水道の諏訪形浄水場が、こんなにすぐ近くにあるにもかかわらず、なぜ「上田市諏訪形」は県水ではなく上田市水なんですか?」にお答えしていきたいと思います。

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上田水道管理事務所は、長野県企業局の現地機関。上田市諏訪形にあります。



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前回のブログ「かずちゃんからの質問1」はこちらをご覧ください。⇒「かずちゃんからの質問1

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昨年の水道週間の写真です。のぼり旗で水道週間をPRしました。



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以下「かずちゃんさん」、上田水道管理事務所をKと表示します。

上田市諏訪形は、「上田水道管理事務所」の水を使用していないんですよね。こんなに近くにある浄水場なのに不思議です。どうしてなんでしょう
K:良いご質問ありがとうございます。

それは、上田市の水道には、「市水」と「県水」があるという現実を踏まえたうえで、上田市の水道の歴史からお話しなくてはなりません。(前回のブログから引用)

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さてさて、そんな大風呂敷を広げてしまった私ですが、上田市の歴史を知るために当所の書庫に「総説 上田の歴史」があることに気づき、それを紐解きました。

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当所の書庫にあった「総説 上田の歴史」を確認しました。



それによりますと

p158

大正8年(1919年)5月1日、小県郡上田町は長野県上田市と改められ、長野・松本に次ぐ県下で三番目の市となりました。長野と松本が明治期に市になっていましたので、「上田市」実現は、長い間の悲願でした。市制をしくには人口3万人以上を有することが条件でした

上田市が発足して、今年で99年なんですね~。来年でなんと100年!
そして次のページに興味深い記述があります。

上水道が落成

市制が施行されたことにより上水道建設工事に対する「国、県の多大なる補助関係が有意義に展開」し、長年の懸案だった上水道が大正12年(1923年)7月に落成しました。千曲川から水を取り神科の染屋台のろ過池へ送水し、さらに配水池に送って自然流下により市内に配水するというもので、建設費は総額85万円、人口が6万人に達しても給水可能な設備でした。」

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大正12年にできた染屋台の浄水場の写真です(市水)。今から95年前の写真ですよ。興味深いですね。



へえ・・上田市になったことで水道の敷設が進んだようです。上田市水、染屋の浄水場は、大正12年、今から95年も前にできたということで、素晴らしく長い歴史があるんですね
ちなみに当所、長野県企業局の上田水道管理事務所が設置されたのが昭和39年(1964年)4月~です。

さらに「総説 上田の歴史」を読み進めますと

 

 

P202

上水道の完備

台所の改善とともに上水道問題があがってきました。(この項の前に昭和40年ごろ~かまど・いろりがなくなりダイニングキッチンが普及してきたという記述があり、それを受けての記載です)上田旧市部は大正12年に上水道が布設されましたが、旧町村では戦後の合併までは簡易上水道を使っていました。しかし、これらの簡易上水道の共通の問題は水源不足でした。合併に伴って順次、上田市の上水道に接続していきました。

上田市の浄水場は染屋地籍に置かれましたが、標高差から神科・神川地域は給水ができませんでした。昭和43年神川上流に菅平ダムが完成、ここからの取水で真田町石舟に浄水場を造り、はじめて神科・神川地域への給水ができるようになりました。

一方、39年からは県営上水道が小牧に設置され、塩田・川西地区の一部に給水することで、全地域に上水道が完備しました。」

ここに県営水道の記述が出てきました!なぜか諏訪形に設置でなく小牧となっていますが、取水口は小牧ですからこのような記載になっていると推測されます。

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さて、以上のことと上田市の行政区域の変遷を確認してみましょう。

 

1919年(大正8年)5月1日…小県郡上田町が市制施行して上田市となる。

1921年(大正10年)9月10日…小県郡城下村を編入。

諏訪形地区は、城下村から上田市に編入されました。

1923年(大正12年)7月…染屋浄水場落成(上田市水が上田旧市部に給水開始)※

※このタイミングで諏訪形に上田市水からの給水が始まったと考えられます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・途中略

1964年(昭和39年)4月…県営水道が塩田・川西地区の一部に給水開始。

 

関係のところを抜粋して時系列に並べると答えが見えてきました。

つまり、県営水道、諏訪形浄水場が諏訪形にできた時には、すでに諏訪形地区には染屋浄水場からの水道が敷設されていたということになります。

(それも県営水道ができるずーっと前から

 

DSCF0107

上田水道管理事務所の給水車です。1月末に新潟市で災害があり、当所から2名の職員がこの給水車で応援にいきました。



かずちゃんさんの質問「上田市諏訪形は、なぜ県水ではないの?」

答え:「県水、諏訪形浄水場ができた時には、すでに上田市諏訪形地区には、上田市水から給水されていた。上田市水の水道が敷設されていた」から。となります。

 

このような答えでいかがでしょうか?

 

「かずちゃん」さん、いつも良い質問をありがとうございます
 

今後も、機会をとらえ「かずちゃん」さんから寄せられた質問に答えていければと考えています。

どうぞよろしくお願いします。

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上田水道管理事務所にイメージキャラクターができました。その名も「すいじんさま(粋人様)」。今後ともよろしくお願いします。



上田水道管理事務所は、諏訪形浄水場を管理する長野県企業局の現地機関です。

諏訪形浄水場では、千曲川から取水した水を浄水して上田市(主に塩田地区、川西地区)、千曲市(旧戸倉町、上山田町)、坂城町の約24,000世帯へ供給しています。

安全・安心な水道水を日々お届けしています。

長野県企業局諏訪形浄水場:上田水道管理事務所

住所:上田市諏訪形613

TEL:0268-22-2110 FAX:0268-22-2994

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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