2018.09.13 [ その他 ]
J落語
第1夜
足をお運びいただきありがとうございます。
毎日、暑いですね。こりゃ異常気象じゃないか、なんてえことを毎年言っているような気がします。ところが今年の夏は、いよいよ本当におかしくなってきたようです。命にかかわるとまで言われた連日の猛暑、記録的な西日本の豪雨、大阪を襲った猛烈な台風21号と続いたので、「トリプル異常気象」だなんて言う人までいます。息つくまもなく北海道のほうで大きな地震がありました。火力発電所が緊急停止して北海道全体で300万戸が停電するっていう事態になりました。ほんと踏んだり蹴ったりです。あちこちで災害が起きてますんでね、他人事じゃないですよ、明日は我が身です。いや、今日、我が身になるかもしれません。
禅の問答集でよく読まれております本に『碧巌録』というのがございます。そこにこんなやりとりがあります。「暑いとき、寒いときは、どうやってそれを避けたらよいでしょうか」。この問いには、こういう答になっているんです。「寒きときは闍黎(そなた)を寒殺し、熱きときは闍黎(そなた)を熱殺す」。「殺」というのは人を殺すということではありませんよ。徹底するということです。昔は冷房なんかありませんからね。暑いときはどこに行っても暑いんです。それならもうとことん暑くなれということです。寒いときはどこ行っても寒い。それならいっそとことん寒くなっちまえってことです。要は覚悟を決めればどうってことないっていう精神論ですが、そのまま実行に移せということではなくて、禅の問答ですから、相手を矛盾に陥れることで深く考えさせようとしているんです。
あたしはどうかっていうと、暑いのは割と我慢できるんです。今これを言うと熱中症になると叱られてしまいますが、夏の一番暑い時間に畑に出ていって野良仕事やって汗をかくのが快感になっています。ただでサウナに入ってるようなもんです。これで500円得したなんてね。このあいだは気温が40度近いときがありまして、さすがにひっくり返りそうになりました。命と引換えに500円もうけても仕方ありません。あの世にゼニは持っていけませんからね。三途の川の渡し賃にならぬようご注意ください。
寒い方はどうかっていうと、苦手なんです。寒くなるとあたしはドテラ着てこたつに入ってミカンむいてテレビ見てるのが幸せなんです。人によりけりで、寒い雪山に行ってスキーやる人もいますね。あれも「寒殺」のひとつかもしれません。スキーの話をすると、スキー場ってのは長野県がダントツに多いんですね。全国の2割が長野県にある。ご案内のとおり長野県では1998年に冬季オリンピックってのをやりました。ですが、皮肉なことにスキー人口は減ってしまった。リフト待ちで並ぶなんてことはなくなって久しいですよ。よく、オリンピックやったせいで逆にスキー客が減ったんだなんていう人がいますけど、長野県のスキー客ってのは80年代の終わりから90年代のはじめがピークで、オリンピックやったころはもうかなり減少していたんでね。全国的にもこの減少傾向は同じです。スキーってのはバブル時代にすごい人気があったレジャーだったということなんですけど、スキーが滑りを楽しむものなら、経済にそれほど左右されるのはおかしいでしょ。でも、スキーってのは、たんに滑るだけじゃなくて、それ以外の部分、都会から仲間と山にやってきてお泊りしていくという楽しみがセットになっているんです。そのふるまいのモデルになったのが『私をスキーに連れてって』というホイチョイプロの映画です。この公開が1987年の11月、絶妙なタイミングですね。私が学生のころなんですけど、猫も杓子も夜行バスでスキーに行ってました。やがてスキーが人気凋落していきますが、それをカバーしたのがスノーボードでした。とはいえ両者あわせてもバブル前より客数は減っていますから、バブルによる底上げだけでなく、娯楽のあり方の変化があるんでしょうね。今は減少傾向は横ばいです。
一方、暑いときのレジャーっていうと、あたしが若いときは海やプールに行くのが一般的でした。ところが今や、海の方は海水浴に行く人が激減してるんです。遠いし、日に焼けるし、ベタつくし、着替えるのが面倒くさいし、一緒に行く人がいないし、規制が多いしといった理由で敬遠されています。海水浴場も砂浜の減少で閉鎖するところがあります。これはスキーも同じなんです。遠いし、寒いし、着替えなきゃいけないし、日に焼けるし、一人じゃ面白くない。しかも道具にカネがかかるし、やり始めるのに技術も必要でスタート時の敷居が高い。それにスキー場の降雪量も不安定になっています。雪は降るときはバカみたいに降るけど、降らないとなったら意地でも降らない。そういう極端なことになってるんです。日本人の娯楽は、近場、もっといえば室内で、しかも一人でできることに向かっているんでしょうね。こうなるとあとはインバウンドを頼るしかない。スキーはそうなっていますが、海のほうは難しいかもしれません。国外はどうなんでしょう。先日『MEGザ・モンスター』という映画を見に行きましたら、中国の海が舞台で海水浴場が出てきたんですけど、芋を洗う状態で、それに一番驚きました。
まあ、あれですね、夏も冬もそうですが、一年を通じて、四季のめぐりがおかしくなってるんじゃないかと思いますね。カレンダーと季節が一致しない。季節がどんどん早くなっている。今年は梅雨明けになったのが早かったですね。東京は6月中に梅雨明けになりましてね、平年より22日も早かったんです。雪の方は、去年はえらい早い時期に雪がドカッと降りましてね、冬用のタイヤに交換してないんで泡くっちゃいました。この調子で季節が早まっていくと旧暦に近づくんじゃないかと思いますね。これからの日本は異常気象と少子高齢化に対応しなけりゃならないから大変です。
今年の夏は火星が15年ぶりに大接近しました。お月様くらい大きく見えるのかと思ったらとんでもない、ゴマ粒ほどでした。こりゃ望遠鏡で見なきゃだめだってんで、観望会に参加して大きな望遠鏡で火星をのぞいてきました。模様が見えるってんで期待して行ったんですがね、砂嵐だとかで赤い円盤にしかみえませんでした。模様は昔はあれ火星の運河だなんて言ってね、火星人がいる証拠だったんですが、運河のスジだと思ったのは、じつは、暗い模様の縁の部分が線に見えたんですね。今回は土星も見してもらったんですが、こちらはあの輪っかがはっきり見えました。カッシーニの間隙(かんげき)ってんですか、それも見れたんで感激しました。間隙だけに。
それで、温暖化っていうと、温暖化が進むと地球に住めなくなるから火星に移住しようなんてえことを考える人がいるんですね。地球の気温が2,3度高い低いで右往左往しているってのに、はるか手の届かないところにある火星の大気をどうにかできるって思えるのがすごいですね。足元の現実に対してはシビアに判断しているのに、話が大きくなると途端に楽観的というか、見積りが甘くなってしまうんですね。よくわからない宇宙計画というのは目の前の困難から目をそらすためだったりするんで、ロマンとか夢とかにカネを使うと言いだしたら気をつけてください。
本日お話し申し上げますのは、やっぱり気候が不安定だった時代のお話です。地球で非常に温暖だったのは白亜紀です。恐竜がドスンドスン闊歩していたころですね。そのあとだんだん寒冷化しまして、これまで4回、氷河時代がありました。現代は、その氷河期と氷河期のあいだの時期です。これを間氷期(かんぴょうき)と言いますが・・・かんぴょうったって、夕顔をむいて干したやつじゃないですよ、氷期が一休みしている時期のことです。この期間のうちにも寒暖のサイクルがありまして、10万年ごとに寒暖を繰り返しているんです。急にひょいっと温かくなって10万年かけてだんだん寒くなっていく。またひょいっと温かくなって徐々に寒くなっていく。これを繰り返しているんです。で、今はそのサイクルのどの時期かというと、1万年前にぐっと暖かくなって、今は10万年かけてだんだん寒くなっている時期なんです。
1万年前っていうと縄文時代です。縄文時代の前は旧石器時代。旧石器時代は寒冷化していて海面は下がり、日本列島はほとんど一つになって、大陸とつながるくらいになっていました。縄文時代になると初めは寒かったんですが半ばにぐっと暖かくなって大いに栄えたんです。現在と比べると2度くらい暖かかったようです。氷が解けて海面が上昇し、関東の低地は海に没しました。これを縄文海進と言います。で、そのうちにまた寒くなりまして、縄文人の数も減っていきました。弥生時代になるとまた暖かくなりまして、その後も多少の寒暖はありますが、比較的安定した状態がつづいています。縄文時代は1万年と長いもんですから、そのあいだに結構気温も変化しているんです。
はい、そこで、これです。このめくりに書いてある「J落語」ってナニって思った方。そこにつながっていきます。この「J」っていうのは縄文(JOMON)の「J」です。あ、なーんだと思いました? そう、ちょっとシャレてみただけ、というわけでもないんですよ。JポップとかJリーグとか「J」のつく言葉が90年代に出てきましたが、ソ連が崩壊して世界のグローバル化が進む一方で、日本は外へと開かれず、内側へと関心が向かった、つまり「J回帰」していると言われました。現在も、尻すぼみになっていく時代に縄文という日本の原点に回帰しようとしているかもしれませんね。
ま、あまり硬い話にはならないんで、気軽に一席、おつきあいのほどをお願いします。
いつの世にもそそっかしい人間というのはいるものでございまして、
八五郎「てぇへんだ、てぇへんだ」
ご隠居「なんだい、そうぞうしいね、またおまえかい」
八「じいさん、あれ知ってるかい。あれ。最近流行ってるあれ」
ご隠居「あれじゃわからないよ。落ち着いてしゃべりなよ」
八「あれでわからねえ? あれだよ。あれ以外に思いつかねえな。こういう形したやつだよ。土で作った壺や人形をありがたがってるやつ」
ご隠居「ああ、あれか。あれは土器・土偶と申してな、それを作ってた時代を縄文時代と言うんだよ。学校で習わなかったかい」
八「土偶? あ、知ってる知ってる。こう、シェーってやってるやつが有名だな」
ご隠居「それは埴輪だよ」
八「なんだ、違うのか」
ご隠居「似てるけど違うんだよ。作られた時代や用途が違う。埴輪は古墳時代に古墳の副葬品として作られたものだ。土偶は縄文時代のものだよ」
八「赤ん坊の小便じゃあるめえし、ややこしいな」
赤ん坊のことを「ややこ」と申しますね。その小便だからややこしいと、こうなります。
ご隠居「作られた時期や製作方法は違うが、まあ、根本的に何が違うかとなると答に窮するな。埴輪を作った人々は土偶の存在を知っていたはずだしな」
八「その縄文時代ってのはいつの話だい。明治昭和平成はわかるけど、その前はよくわからねえ」
ご隠居「おいおい、すごいことを言うね。それに、すでに大正が抜け落ちちゃってるよ。短いからって飛ばしちゃいけない。縄文時代ってのはだな、明治よりはるかに前のことだよ」
八「じいさんは、その土器だ土偶だっていうもんを見たことがあるのかい」
ご隠居「あるとも。博物館で何度も見たことがあるよ」
八「さすがだね。で、そりゃどういうもんなんだい」
ご隠居「まったく。なにか流行ってるっていうと、すぐ食いついてくる男だね。ま、いい機会だから教えてやるよ」
八「お願いします」
ご隠居「こういうときだけ、頭が低いな。話を聞いてもカネにはならないよ。いいかね、まず縄文時代というのはだな、今から1万6500年前に始まって、3千年前まで続いた時代のことだ」
八「槍を持ってマンモスを追いかけていたんだろ」
ご隠居「マンモスだのナウマンゾウだのは旧石器時代の話だ。縄文時代は旧石器時代のあとの時代だよ。世界史的には新石器時代にあたる。だが日本には新石器時代もそのあとの青銅器時代もない。縄文時代が延々1万3500年も続いていたんだ。世界史でいう新石器時代は食料生産をしたのに、日本の縄文時代は食料を採集していたので、かなり違うんだよ」
八「縄文時代ってのは1万年以上続いてたのか。のんびりしてやがんな。あくびが出そうだ。1万3500年って言ったら、おれが生まれて30年だから、その何倍だ」
ご隠居「自分を基準にして考えちゃいけないよ。ものさしが違うから、わけがわからなくなる。でも、せっかくだから、おまえの生きてきた30年を東京ドーム1個ぶんとするとだな」
ご隠居さん、そろばんを取り出してパチパチとはじきます。
ご隠居「1万3500年というのは東京ドーム450個ぶんに相当する」
八「なに? 東京ドーム450個ぶん・・・て、よけいわからねえや」
ご隠居「あー、これはたとえが悪かったな。おまえを基準にするのはやめよう。別の計算をするとだな、当時は1世代25年くらいだと考えられるから、つまり25歳で子供を生むということだから、そうすると、540世代ということになるな」
八「おれのじいさんを540人さかのぼったら、何じいさんになるんだ。じいさんの親父がひいじいさんだろ、そのまた親父がひいひいじいさん。するてえと、じいさんのじいさんのそのまたじいさんで、ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひって、あー、たすけてくれ」
ご隠居「ひいひいって、ひきつった笑い方してんじゃないよ、気味悪い男だね。とにかく縄文時代ってのはえらい昔なんだよ。それで、縄文時代は6つに分かれている。これは重要だからよく覚えておきなよ。
草創期・早期・前期・中期・後期・晩期
この6つだ」
これを、もう少し詳しく見ておくとこうなります。年代は研究者の考えによって若干異なりますが、目安にしてください。
16,500年前(BC 14,500)~草創期
11,500年前(BC 9,500)~早期
7,000年前(BC 5,000)~前期
5,500年前(BC 3,500)~中期
4,500年前(BC 2,500)~後期
3,500年前(BC 1,500)~晩期
3,000年前(BC 1,000)~弥生時代
八「前期・中期・後期ってのはわかるが、草創期・早期なんて似たような感じの区分が並んでるな。もったいぶってねえか」
ご隠居「うむ、それにはね理由があるんだよ。実は研究者のあいだで、縄文時代がいつ始まるか決着がついていない。最古の土器が出現した1万6500年前を縄文時代の始まりとするか、縄文時代特有の生業が確立した1万1500年前をもって縄文時代の始まりとするかだ」
八「なんだ、えらい学者でもわかんねえことをおれにわからせようってのは、たいした了見だな」
ご隠居「うるさい男だね。おまえが説明してくれって言ったんだろうに。黙ってお聞きよ。時代を区分するのはその時代の生活の仕方があるからなんだよ。旧石器時代はひとところに定住せずに獲物を追って移動していた。それが次の時代になるとひとところに定住するようになった。木の実を採集したり、山にいる動物や川の魚、海の貝を採るようになった。縄文時代には土器があったから、その土器で煮炊きすることで、これまで食べれなかったものが食べれるようになったり、食べ物を貯蔵して、採集できるものが少ない季節をやり過ごすことができるようになった。貯蔵するものが増えれば移動しにくくなる。移動というのはやはり不安定なんだろうな。貯蔵するほうが将来の計画ができる。人間はそういう安定を求めるものなんだろう。だから縄文時代には農耕はしていないが、移動しなくて済むようになれば移動しなくなったんだ。移動しないといっても、同じ場所に死ぬまで住み続けたわけではない。日本も江戸時代になるまで結構あちこち移動していたことがわかっている。村をあげて逃げ出したりもしたんだ」
八「おれも夜逃げしたいと思ってたところだ」
ご隠居「縄文時代というのは、まず土器が出現する。ついで新しい時代の生業が確立する。こういう順番なんだよ。それで、新しい時代の生業が確立したことをもって縄文時代が始まると考える人は、さっきの「草創期」を縄文時代に含めないんだ。テレビや新聞なんかで、1万数千年前に始まった縄文時代ってなんだか歯痒い書き方をしているのはそのせいだ。草創期は準備期間なんて言われている」
八「なーる」
ご隠居「それでな、縄文時代の終わりも、いつと断定しにくい」
八「というのは」
ご隠居「というのはだな、縄文時代の次は弥生時代だが・・・」
八「あー、うちの女房とおんなし名前だ」
ご隠居「ああそうだったな、おまえんとこのは弥生っていったな。あのな、どうでもいいが、いちいちあたしの話を中断するな」
八「あい」
ご隠居「縄文時代から弥生時代に変わっていくのは西日本が先で、東に行くほど遅くなる。一斉に変わったわけではない。稲作が浸透していくのに何百年もかかっている。北海道や沖縄は稲作を受け入れなかったから弥生時代というのはなかったし、別の時代区分になっている。それに、縄文時代の終わりと次の弥生時代の境界は稲作の開始をもってするが、稲作の開始は遺物の炭素分析の精度があがって、だんだん古くなっている」
日本列島は細長くて地域によって環境が違いますので、同じ調子に変わっていったわけではありません。また、稲作以前の植物栽培ということですと、縄文前期にはダイズなど豆類やクリが栽培されていたそうです。これをもって農耕というかどうかは意見が分かれるところです。
八「日本は東と西じゃ文化が違うなんてえことをよく聞くな。同じうどんでも関東のつゆは濃くて、関西は薄いとか」
ご隠居「そうだな。いちばん大きな区切りは糸魚川静岡構造線あたりだな。そこで東西に分断されておるようだな。昔は高い山は超えにくかったんだろう」
八「ところで、なんで最近、縄文がはやりだしたんだ」
ご隠居「そうだな、いくつか理由がある。ひとつは分子生物学という学問が進んで、古人骨の核DNAが解明されつつあるということがある。以前は骨の形態を比較したり、ミトコンドリアのDNAやY染色体しか分析できず、母系か父系のどちらかしかわからなかったが、2000年にヒトゲノムの全体が解明され、日本でもここ10年のあいだに成果がでてきている」
八「なんか今、呪文みたいなことを言いやがったね。水戸黄門がどうとか」
ご隠居「ミトコンドリアか。ミトコンドリアには母方のDNAしか受け継がれないから母系しかわからない」
八「DNAってのは最近、そんな歌があったな」
ご隠居「それはDAPUMPの「U.S.A」だよ。こじつけるんじゃないよ。まあいい、おまえさんのご先祖さまのことがだんだんわかってきたと思いなさい」
八「おれの先祖の骨を直接調べたわけじゃあるめえに、どうして他人を調べて、おれの先祖のことがわかるんだい。おれがイモ喰って、じいさんの尻からプーって屁が出るかい。別人なのにさ」
ご隠居「寅さんのマネするんじゃないよ。先祖というのはさかのぼるほど重なりあっているんだ。たとえばあたしの100代前の祖先と、おまえさんの100代前の祖先は同じ人かもしれん」
八「えー、おれとじいさんが、親戚? やだよ」
ご隠居「100代もさかのぼれば親戚もなにもない。ご先祖さまが最初に列島にたどりついたのは4万年前も前の旧石器時代だ。来るには主に3つのルートが考えられる。東南アジアから海を渡ってきた南方ルート。朝鮮半島から対馬海峡を渡ってきたルート、千島樺太から北海道に入ってきた北方ルート。これらいろんな人たちが列島全体に住んで、その人たちがやがて縄文人になる。縄文時代が1万数千年続いて、やがて大陸から稲をもった弥生人が九州北部に渡来し、東に向かって混合していく。前は弥生人が縄文人を追い出したように考えられていたが、かなり早い段階から混合していたということが遺伝子分析でわかっておる」
八「じゃあ、おれの中にも縄文人の血が流れてるのか?」
ご隠居「そうだな。たしかに、丸顔で大きな鼻のおまえさんは縄文人っぽいな。この列島に住んでいる人には、たいてい縄文人の遺伝子が入っている。縄文人だけでなく、ネアンデルタール人の遺伝子も2パーセント入っている」
八「なんだいそのナンデアルとかいうのは」
ご隠居「あたしらホモ・サピエンスより数十万年前に、主にユーラシア大陸の西で栄えた人類だ。絶滅してもうおらんがな」
八「話がでかくてよくわからなくなってきた。何万年前ってのは、どうも実感がわかねえ」
ご隠居「しかたない。おまえさんの身の丈に置き換えて考えてみるか。国家予算の100兆円を、家計の1000万円に置き換えて考えるってのはよくあるからな」
八「うちの収入が1000万円もあるかってんだ。医者や弁護士じゃあるめえし。庶民の生活を知らねえな」
ご隠居「たとえだからな。そうだね、じゃあ、まず、おまえさんは、今いくつになったかね」
八「おん年(とし)、30だ」
ご隠居「おんはいらないよ。30歳か。では、おまえさんは20歳ということにしよう」
八「30だって言ったろ」
ご隠居「たとえばの話だよ。20歳、これを1万倍して20万年前に生まれたとする。ホモ・サピエンスがアフリカに出現したのは20万年前だ。おまえさんはサピエンスの1万分の1の時間を生きていると思いなさい」
八「ほう。1万分の1ね」
ご隠居「サピエンスがアフリカを出るのが6万年前だ。その後、サピエンスは地球上に広がっていく。これをおまえさんに置き換えれば、6年前、つまり14歳のときに故郷(くに)を出て、あちこちふらふらしていたと思いなさい」
八「おう、実際それに近かったな」
ご隠居「サピエンスが日本列島にたどりついたのが4万年前。これを、おまえさんが、今の長屋に落ち着いたことにして、それが4年前」
八「ま、そんなもんだ」
ご隠居「4年前におまえが今の長屋に来てそこで一人暮らしをしていたが、カネもないし侘しい生活をしていた。やがて仕事をして、だんだん食い扶持を稼げるようになり一人前の暮らしができるようになった。それが1年半前だ。食器や人形も揃えた」
八「なんだい、その食器や人形ってのは。それまでは何かい、器がなくて食い物をどうしていたんだ」
ご隠居「あくまでたとえ話だよ。1年半前ってのは、今から1万6500年前に縄文時代が始まったってことだ。食器や人形ってのは土器や土偶を言い換えたものだよ」
八「ああ、そうか」
ご隠居「そうこうしているうちに弥生さんという奥さんをもらった。3か月前だ。弥生さんは農家の娘で実家からコメを送ってくれる。これが稲作を開始した弥生時代だ。3か月前ってのは、今から3千年前に弥生時代が始まったってことだ。弥生時代はかつては紀元前300~500年前に始まったとされていたが、どうやら紀元前1000年ほど前に遡るということが最近わかってきた」
八「へえ、よくできてるな。名前はぴったりあてはまってる」
ご隠居「もともと列島に生きていた縄文人と、大陸から来た弥生人は、早い時期から混合したことがわかっている。おまえさんと弥生さんのあいだに子どもが生まれるとするな、それが今の日本人につながっていく」
八「あー、おれの鼻垂らしたガキがかい。そんなたいそうなもんじゃねえがな。袖で鼻水を拭くもんだからピカピカしてらあ」
ご隠居「ピカピカじゃない、テカテカだろう。汚いねえ。ちり紙を持たしておやりよ。そりゃいいがね、弥生人というのはあとから来たが、それが縄文人を追い出したわけではない。これを置換説というがな、そうではない。混じり合っていったんだ。今の日本人はもとからいた縄文人と、弥生時代に列島にやってきた人たちと混血したものなんだよ。これを二重構造モデルと言ってな、DNAの分析だと縄文:弥生の割合は1:9から2:8くらいのようだ」
ご隠居さんの説明は列島中央部、いわゆる本土に住む日本人についてのものでして、アイヌや沖縄の人たちは混血の割合が異なります。アイヌは5割ほどが縄文人のDNAを受け継いでいるようです。オキナワ人も弥生人との混血が進まなかったという点ではアイヌ人に近いんですが、アイヌの人たちは北方のオホーツク人と混血しているようなので、近縁度はさらに離れています。
ご隠居「縄文人といっても均一ではない。なにしろ登場人物がおまえと奥さんしかいないので説明が単純になってしまったがな。さっきも言ったように、日本列島にはあちこちのルートから入ってきて列島全体に広がった。その後も地域に分かれて暮らしていて、縄文人どうしがそれほど混じり合うことはなかったようだ。よく黒曜石や土器が離れた土地から出土するから活発な交流がおこなわれたように言われるが、モノの交流はあったかもしれないが、人が混血しあうかというとそうではなかったようだ」
八「そりゃそうだ。モノをもらったりするのはそれっきりだが、嫁さんをもらうってなると慎重になる」
ご隠居「弥生人は大陸から来て九州北部に入り、縄文人と混じり合いつつ、時間をかけて列島を東に進んでいった。あたしらのDNAには西日本の縄文人のDNAが多いことがわかっている。一方、縄文人と混血していくと縄文人のDNAの割合が高くなっていくはずだが、今の日本人のDNAには縄文人の割合はそれほど高くない。二重構造モデルでは弥生人と一括りにしているが、弥生時代の直前の縄文後期から晩期に大陸の沿岸部から渡来してきた人たちがいて、それが今の日本人のベースになったという説をとなえる人もいる」
八「つまり簡単に言うとどうなるんだよ」
ご隠居「簡単に言うとだな、海の向こうからこの日本にやってきた人たちは大きくいって3回あったということだ」
こういうことです。繰り返しになりますが、DNA分析から得られた一つの仮説として聞いてください。4万年前の旧石器時代、寒冷化してまだ日本列島が大陸と地続きだったころです。南方や大陸のあちこちから列島に人が来て住みつきました。これが第1波の渡来人です。この人たちがやがて土器を作るようになり、生活の仕方も変わって縄文時代となります。縄文時代が1万年続いて終わりに近づいたころ、大陸の沿岸部から海洋民族が九州北部にやってきまして列島を東に進み、縄文人と混血していきます。これが第2波の渡来人で、列島中央部に住む人々のベースを作りました。アイヌやオキナワ人とはほとんど混合しませんでした。そして3千年前、今度は稲作をたずさえた人々が大陸から九州北部にやってきまして、東進し原住民と混血していきます。これが第3波の渡来人です。農耕がはじまり弥生時代となります。
ご隠居「ところで、おまえさんがずっと手に握りしめているその紙はなんだね」
八「これかい、さっき道端で拾ったんだけどよ。子供の鼻ッ紙にでもしようかと思って」
八五郎、くしゃくしゃになった紙を広げてご隠居さんのほうに差し出します。ご隠居さん、シワをこう伸ばしながら、
ご隠居「えー、なになに。おう、これは上野にある博物館で縄文展というのをやっているチラシじゃないか」
八「そうさ。それを見たもんでここに居るんだよ。えらい人気らしいんでね。上野っていえば、こないだシャンシャン見に行ったとこだ」
ご隠居「ああ、おまえには土偶よりパンダのほうがいいかもしれないな」
八「馬鹿にしてらあ。おれはこう見えてもシャンシャンの名前を当てたんだ。上野だから「上上(シャンシャン)」だろうって。漢字は「香香」で違ったけどな」
ご隠居「東京国立博物館の展示はいいものが並んでるんだが、今回の展示は特別展の名前が「縄文--1万年の美の鼓動」とあるように「美」がテーマの名品展だったんだよ。縄文時代とはどういう時代だったか、その遺物の用途や出土状況にはあまりふれていない。
あたしも見に行ったんだが、女性なんかは土偶をみて「かわいい、かわいい」と言っていたな。イノシシの足の微妙なふんばり方がかわいいとかね。今の自分の感性でものを見ているようだな」
八「イノシシがあるのか」
ご隠居「うむ。イノシシは人形(ひとがた)じゃないから土偶ではなく、土製品というんだがね」
八「こまかいこと言うなよ」
ご隠居「土器や土偶を美術品みたいなものとして見るか、それとも考古学の研究資料として見るかという二つの考え方がある。仏像が信仰の対象でありつつ美術品としても鑑賞されているようなものだな。もともと土器土偶というのは発掘された遺物として学問の対象としてしか見られていなかったが、それを岡本太郎という芸術家がこりゃたいしたもんだっていうことで美術作品として見出した。もっとも岡本太郎は火焔土器をはじめとして縄文中期の人目を引くものにふれただけなんだが」
八「岡本太郎って、それぞれ顔があるようにグラスの底に顔があったっていいじゃないか、って言った人だね」
ご隠居「昔のCMだな。ウィスキーのおまけにそのグラスがついていた。グラスじゃないが、土器にも顔があるんだ。土器の底ではなく、把手(とって)だがね。縄文の遺物が美術として認められるようになっていくもう一つの契機は、海外の美術館で土偶が展示され、美的な造形作品として評価されたことがある」
八「外国の評価に弱いからな」
ご隠居「海外の人は遠い日本の地理や歴史なんてよくわからない。だが美的なものを感じるのは一緒だ。文部科学省(文部省)も縄文の遺物を国宝に指定していくようになった。最初が1995年だから、20年ちょっと前だ。これまで土器が1件、土偶が5つ国宝になっている。最近、縄文がブームになっているのも縄文の遺物が次々国宝に指定されだしたということもあるな。土偶の国宝が多いから、次は土器が国宝になるんじゃないかね」
八「国宝のバーゲンセールだな」
ご隠居「これまで縄文時代の国宝がなかったからな。もっと指定してもいいだろう。国宝になるには、まず重要文化財に指定される必要がある。重要文化財になって5年から10年たたないと国宝に指定されない。本当に国宝にふさわしいか品定めされる期間だな。とくに考古資料なんてのは例の「神の手」事件があったからいやでも慎重になる。偽物を国宝に指定したら赤っ恥かくからな。6件の出土場所は、3件が信越、3件が北海道や東北から出土したものだ。地域にかたよりがあるだろう。これには理由がある」
えー、どんな理由かということはまたあとでお話し申し上げる機会があると思います。ここで国宝になった6件を紹介しておきましょう。
1995年 縄文のビーナス、長野県茅野市米沢棚畑遺跡
1999年 深鉢形土器(火焔型土器・王冠型土器57点)、新潟県十日町市笹山遺跡
2007年 中空土偶、北海道函館市著保内野遺跡
2009年 合掌土偶、青森県八戸市風張1遺跡
2012年 縄文の女神、山形県山形市西ノ前遺跡
2014年 仮面の女神、長野県茅野市中ッ原遺跡
八「へえ、長野県の茅野市ってとこから2つ国宝になってやがる。たいしたもんだ」
ご隠居「縄文の遺物といっても、土器は抽象的で地味なのに対し土偶はフィギュアで感情移入しやすいから面白い。かつては土偶といえば青森県の遮光器土偶が有名だったが、最近は茅野の縄文のビーナスの露出が多いようだ。第二次土偶ブームと言ってもいいだろう。遮光器土偶といえば、デニケンという人が60年代に太古の地球に宇宙人がやってきたという説をとなえたが、遮光器土偶も宇宙人だとも言われた。なんとも奇怪なかたちだからな。さすがに今宇宙人説をとなえる人はいないだろう。ああいう形状の土偶は東北のほうで似たようなものがいくつも作られているんだよ。遮光器はその形が雪目を防ぐためのものに似ているが、もともとこのタイプの土偶はアーモンド形の目をしていたのが、いくつもつくられていくうちに次第に目が大きくなり真ん中に横線が入るようになったものだ。宇宙人を見てびっくりした人がその姿を写しとったわけではない」
八「そう言われても、おれには宇宙人にしか見えねえ。遮光器土偶のしゃこちゃん。これは国宝じゃねえのか」
ご隠居「国宝ではないが重要文化財だ。縄文の遺物は他にも重要文化財になっているものがいくつもある」
八「その重要文化財でいいから、おいらにひとつくれねえかな」
ご隠居「たわけたことを言うでない。どうせどっかに売りっとばす腹積もりだろう」
八「そんなことしねえさ。ちゃんと床の間に据えとくよ」
ご隠居「おまえのうちに床の間なんて大層なものありゃしないじゃないか」
八「そんなら神棚に飾っとくよ」
ご隠居「ツバメが巣をかけるのにちょうどいいくらいの小さな神棚じゃ置かれやしねえさ。保管ってのは大切なんだぞ。土偶が国宝になるなら地元に博物館を建てますというところもあるんだ。おまえんとこみたいに隙間っ風が吹っ込むような九尺二間の長屋じゃ話にならないよ」
八「ちぇっ、なんだよ。言ってみただけじゃねか」
ご隠居「おまえのたわごとにつきあわせるんじゃないよ。なんにせよ、縄文の遺物を美術作品として鑑賞するというのが最近の傾向だな。大衆にわかりやすい」
八「こちとら学者じゃあるめえし、出土した様子なんて聞かされても面白かない。きれいだとかかわいいとか上手くできてるってことなら素人でも見た目でわかる。その線でおれにもわかるように縄文時代ってのを説明してくれねえかな。要領よく頼む」
ご隠居「なんだい。人に頼みごとするってえのに要求も一緒かい。まあいい。今日はちょうど暇をもてあましていたところだから、おまえの相手をしてあげるとしんぜよう。いいかい、そもそも縄文時代には文字はない」
八「文字があっても、おれは難しい字は読めない」
ご隠居「いばるんじゃない。おまえのことはいい。耳学問でうまく世渡りしてけばそれでいいよ。ほとんどの人がそうだからな。文字というより言葉が重要だ。縄文時代にも言葉はあったはずだ。当時も相当高度な技術を持っていたから、言葉がなければそれを伝えられない。言葉があっても文字がなかった。中国から漢字を輸入するまで日本には文字はなかった。文字がなかったから、当時の人が何を考えていたか今に伝わらない。文字というのはたいしたもんだよ」
八「たいしたもんだよ、カエルのしょんべん」
これは、カエルの小便は田んぼにするからということですな。
ご隠居「だから今に残されているものから当時の人の考えや暮らしを推測するしかない。遺跡から出てくるのは土器や土偶、石器なんかだ。木製品や骨角器もあるが、雨の多い日本は空気中の二酸化炭素が雨に溶かし込まれて酸性土壌になるから有機物は溶けて残らない。貝塚はアルカリ性だから、そういうところには残っていることがある。土器や土偶ばかりに「美」を感じているようだが、石器には左右対称に作られているものがいくつもあって、ここには明らかに機能を超えた美的感覚が宿っている。そうはいっても、違いがよくわかって面白いのは土器・土偶だ。ひとくちに土器・土偶といってもだな、いろんな形があるんだ。ちょっとお待ち」
ご隠居、本棚から重そうな写真集をよっこらしょと持ってくるてえと八五郎にひろげて見せました。
ご隠居「ほら、これをご覧。土器や土偶の写真だ」
八「へえ、土器だの土偶だのよくできてんな。こんなものが土のなかからでてきたらドキッとするな」
ご隠居「つまらない洒落を言うんじゃない。じゃあ、まず土器から話していくことにしよう。縄文時代をなぜそういうかというと縄文土器が作られた時代だから。で、縄文土器をなぜそういうかというと土器に縄目の文様がつけられているからだ」
八「あたりめえのこと言ってやがんな。おれの名前が八五郎ってのはなぜそういうかてえと8番目に生まれたからってんで親がつけたからに決まってやがる」
ご隠居「八五郎でも九五郎でもいいよ。ほら、この写真をご覧よ」
八「おう、縄を転がしたような跡がついてらあ。なーる。お、こっちのはツメの先でつっついたような跡だな」
ご隠居「土器は粘土で作って野焼きしたんだよ。まだ窯はなかったから、土器のまわりを火で囲んだのさ。焼く前の粘土がやわらかいときに模様をつけた。だがな、縄文時代だからといって、すべての土器に縄目の文様がついているわけではない。おまえが言うのは爪形文(つめがたもん)土器といってな草創期のものだ。ヘラや棒の先を押し付けていることもある。底がお乳の形をしているだろう。縄文時代はじめのものは底が尖っていたり丸かったりするのが多い。土器の縁(ふち)の作りもシンプルで、まだ個性的なところが出てこない」
八「あー、ほんとだ。底はてえらなほうが座りがいいだろうに」
ご隠居「穴を掘って埋めたか、かまどの灰に押し込んだのかもしれん。そうしたなら、むしろ底が平らなものより安定するだろう。文様の凸凹がちょうど滑り止めにもなっただろうし」
八「手を滑らして皿を割っちまうと嬶(かか)ぁに怒られるからな。こりゃいいや」
ご隠居「土器の底は、草創期、早期を経て、前期になると平らになってくる。それまでは単純な深鉢形が主流だったのが、浅鉢ものも出てくる。一方、縁を工夫していろんな形のものが出てくる。これなんかどうだい。深鉢型土器で見事なもんだ。胴まわりに引かれた線も幾何学的で頭がいいやつがいたんだろうな」
八「そういや、これとそっくりな花瓶が、大家のうちにあったな。大家のやろう、おれたちの店賃(たなちん)のあがりでこんなもの買いやがったんだ。ふてえやろうだ」
ご隠居「おいおい、大家さんが何を買おうといいじゃないか。だいいちおまえさん、店賃を3月も滞らせてるそうだね。いい加減払わないと追いだされちまうよ」
八「あんな花瓶買うためのカネなんか払えるかってんだ。そうだ、いいこと思いついた。あの花瓶をよそへ持ってって叩き売ってやろう」
ご隠居「物騒なことを言いなさんな。よしなさいよ。縄文だけにお縄(なわ)になっちまうから」
(第2夜へ続く)
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第2夜予告 縄文土器の続きと土偶編
ご隠居「八五郎、おまえさんは信州は富士見の産だったな」
八「おう。富士山がきれいに見えるから富士見ってんだ。でも、八ヶ岳のほうがはっきり見えるから、どうして八ヶ岳見にならなかったんだろうって不思議なんだがな」
ご隠居「見るというのは離れたところから対象化して把握することだ。富士山は遠くから見るもの。八ヶ岳はそこに属する生活の場であろう。見るほどの距離はないんだよ」
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【しまいの口上】縄文とJ文(じぇいもん)
最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。この無駄っ噺は、長野県の茅野、原、富士見あたりをPRしようと思ってやり始めたんですが、ここまできても、まだ本題に至りません。こういう構成した対話というのは、ふつう弁証法的に発展していくものなんですが、今回は八五郎という進歩のない人間が相手ですので、なかなか話が深まっていきません。どうもこの倍くらいやらないと終わらないようですが、いい加減長くなりすぎたんで、いったん区切りとします。
縄文時代の人口はピーク時が縄文中期で、26万人と推測されています。地域にかたよりがあって、これまで発掘された遺跡の分布からいって、甲信越、関東、東北に多かったことがわかっています。縄文時代というのは東日本の時代だったんですね。縄文人が好んで暮らしたのは台地で、地形的に東日本には台地が多く、また狩猟採集で手に入れられる食べ物も豊富だったようです。東日本にはブナ、ナラなど落葉広葉樹林が広がっていて、木の実が採取しやすかったと言われています。ただ、佐賀市の東名(ひがしみょう)遺跡という縄文早期の遺跡が栄えていたこともわかり、今後、発掘によって従来の縄文のイメージが覆っていく可能性はあります。いずれにしても、今のところ、縄文文化のトピックは、八ヶ岳周辺と東北が抜きんでています。ですから縄文に興味をもってもらうということは、必然的に信州の諏訪から富士見あたりに対する関心をともなうことになります。
1980年代にも縄文というのはプチブームがありました。当時は大陸から進出してきた人たちの影響を受ける前の時代として縄文が注目されていたように思います。日本の原像としての縄文と言いますか。しかし、そもそも縄文は今の日本人の原点なのかというと、DNA分析からするとそうでもないようです。本土に住んでいる人のDNAは、縄文人のあとからやってきた弥生人のDNAのほうが強く残っています。古墳時代以降も、渡来人の影響は大きいものがあります。現代の日本列島中部に住む私たちが受け継ぐ縄文人のDNAは10~20パーセントと低いものです。これまで遊び半分で、「君は縄文人か弥生人か」みたいなタイプ分けがあったんですけど、縄文と弥生と半々というわけでもないんですね。しかも、私たちが受け継いでいるのは西日本の縄文人のDNAが多いようです。先にも述べたように、縄文時代は東日本の人口が多かったんですが、どうも、その人たちの遺伝子はあまり受け継いでいそうにありません。つまり、縄文ブームは、私たちの直接のご先祖の様子を知るものというより、似ている部分もあるけどちょっと違う人たちの文化に対する関心なのだと思います。これから5年がかりで、現代人と古代人のゲノムを比較する大掛かりなプロジェクトが始まります。その結果がでれば、一層くわしいことがわかるでしょう。
今回の縄文ブームの特徴は、遺物を美的な対象、あるいは風変わりな面白いものとして鑑賞するところにあります。きれいなガラスケースに入れられたモノを、眺めて楽しむ縄文です。縄文を語る言説には、「土偶女子」とか「かわいい」とか「おしゃれ」といった言葉があふれています。このような縄文は歴史的な文脈で存在する縄文ではなく、何千年も離れたものを現代のポップな感覚で理解しようとする表層的な縄文です。そもそも縄文の美は、伝統的な日本の美とはかけはなれた部分をもつ、不思議な要素をもっています。ですからそれを「美」というフレームを採用することによって無害化して受容することには躊躇があります。縄文の不思議さは歴史という時間軸によって生み出された断絶からくるものですが、それを超時間的なフラットな平面において理解しようとするのが、「美」的な鑑賞態度です。土器の装飾や土偶には妖怪めいたものがありますが、風変わりなものについてその存立の実存的な部分に立ち入らずに「そういうもの」として享受するのは、ポップに様式化された現代の妖怪にも通じるものがあります。また、過去をまなざす場合でも、先にも述べたように、それを残した人々は自分たちの直接的な祖先とは重ならないのに、曖昧なままで(それゆえに)漠然としたロマンを感じているのです。こうした二重の表層的な受容の仕方は、縄文というより、もっと軽く「J文(じぇいもん)」といったほうがいいかもしれません。
5階落語研究会著
(この記事は執筆者の個人的な見解を述べたものです。)
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【追記、おすすめ】
『縄文にハマる人々』という映画が現在公開されています。縄文というどんな解釈でも受け入れてしまうブラックホールに吸い込まれてしまった人々にインタビューを実施していて興味深いです。長野でも10/6から10/18まで長野松竹相生座ロキシーでやります。
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