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横溝正史と諏訪

「ジッチャンの名にかけて」が決めゼリフの金田一少年。

その少年も今や37歳。『イブニング』で『金田一37歳の事件簿』が連載されています。やっていることは少年時代と変わりませんけどね。孤島での連続殺人のパターンです。

ネットの質問サイトで「金田一少年は、なぜジッチャンの名をかけるのか、なぜ自分のプライドをかけないのか」と質問している人がいました。

時代ですね。

先祖の名を汚さないようにするというのは、イエの成員の基本的な態度です。どんなイエも歴史的なもので、祖先に対する崇拝と結びついています。祖先というのは自分の由来でもありますから、「ジッチャンの名にかけて」というのは、自分の存在理由をかけていることにもなります(祖父と祖先とは別物ですけど、ここでは同じに考えていいでしょう)。金田一の祖父の場合は著名人なので、名前にはイエだけでなく社会的な名誉も加わっています。

イエ意識が希薄になった個人主義の昨今では、こういう態度は理解できないものになって、自分のプライドをかけるという発想しかないんですね。自分のプライドは自分だけのものです。

 

それはともかく。

金田一少年のおじいさんは名探偵の金田一耕助。

生みの親は横溝正史。

横溝正史といえば、昨年12月に幻の長編小説が見つかったと新聞各紙で一斉に報じられました。昭和16年に新潟の地方新聞に半年間連載していた小説ですが、長い間埋もれていたのを研究者が探し当てたのです。それが『雪割草』としてこの3月に単行本として発売されました。77年ぶりに日の目を見たのです(この小説じたいが、そのタイトルどおりの運命をたどったわけです)。殺人事件は起きません。ヒロインが苦境を乗り越えていく通俗小説です。

雪割t『雪割草』2018年3月、戎光祥出版刊

・・・地味な表紙です。杉本一文みたいなのがよかったけど・・・

『雪割草』は上諏訪から物語が始まります。主人公は有為子(ういこ)という若い女性。上諏訪の鶴屋という大きな旅館の跡取り息子に惚れられ婚約しますが、父親が本当の父親でないということがあばかれ、婚約は破棄されてしまいます。失意の有為子は本当の父親を探しに東京に向かう、というお話。作中の登場人物に、後の金田一耕助のモデルとなる人物も現れます。

小説では、当時(昭和十年代半ば)、諏訪にスキー場ができて、スキーヤーで上諏訪駅がにぎわっていたと、その様子が書かれています。実際この時期、諏訪地域ではスキー場の開発がちょっとしたブームになっていました。昭和6年に霧ヶ峰がスキー場として発見され、翌年に上諏訪町ではスキー協会を設立し、スキー場の開発に着手しています。それに刺激され、下諏訪、岡谷、茅野でも、それぞれ和田峠八島湿原、塩尻勝弦、北山や米沢に相次いでスキー場を開発したのです。昭和10年の写真にはスキー客でにぎわう上諏訪が映っています。

(長野県スキー発祥100年の歴史http://www.shinshu-tabi.com/ski100/rekisi.html

霧ヶ峰スキー場は上諏訪駅から車で2,30分。県道40号線(諏訪白樺湖小諸線)を上っていきます。当時は今のように自家用車が普及していないので、みんなバスで行ったことでしょう。

 

ところで、『雪割草』の舞台はなぜ諏訪なのか。

実は、横溝正史は信州諏訪と深い縁があります。昭和9年7月から14年12月まで5年ほど、結核の療養のため上諏訪に滞在していたのです。上諏訪駅から高島城に歩いてくる途中に並木通りがありますが(かつて高島城が埋め立て前の諏訪湖で浮城であったときに城に至る唯一の道であったところ)、その道を挟んで東西のあたりを2回転居しています。

上諏訪

・・・昭和6年頃の地図。赤丸印のあたりに横溝が住んでいた・・・

横溝は14年暮れに諏訪から東京に戻りましたが、戦時中であり、時局がら探偵小説の依頼もなく、時代もの(『人形佐七捕物帖』)を書いていました。しかしそれも不謹慎ということで15年ころ中断の憂き目にあいます。そのため執筆のジャンルを広げていきましたが、その一つの試みが家庭小説である『雪割草』だったのです。タイトルは地味ですね。存命なら改題したのではないでしょうか。

 

さて、横溝正史の作品はかつて角川文庫でほとんど読めました。

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