2013.07.04 [ 南信州の伝統・文化・史跡 ]
飯田城を歩く ①桜丸篇
飯田合同庁舎は飯田城址にあります。
城址に郡役所というのはお約束の1つですが、今、県の合同庁舎で城址に建っているのは飯田合庁だけですね。
段丘の突端に位置する飯田城は、本丸、山伏丸、二の丸、桜丸、出丸、三の丸で構成されており、飯田合庁は桜丸の跡にあります。
まずは、桜丸周辺を歩いてみましょう。
桜丸は、城主脇坂安元(やすもと)が安政(やすまさ)を養嗣子に迎えるにあたって建造しました。
飯田城は、江戸以降小笠原家1代、幕府直轄、脇坂家2代、堀家12代に統治され、脇坂安政の治世が1653年~1672年ですので、江戸初期1650年頃の造営と思われます。
堀氏の時代には、若殿の御殿や隠退した殿様の隠居所、幕末には政務を行う所として利用されたとのことです。
桜丸には赤門があります。
現在の赤門は今を遡ること約260年前、宝暦4年(1754年)の建造です。
将軍は第9代家重の時代で、明治維新や第2次世界大戦、高度成長やバブルの崩壊もすべて見守ってきた門です。
毎年4月には開門式が行われ、出丸跡にある追手町小学校の新入生が門をくぐる姿はTVでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
【平成22年に大改修した赤門】
【門をくぐる新入生】
また名前の由来のとおり多くの桜が植えられ、夫婦桜などの古木が今に名残をとどめています。
【今年4月当初、満開の夫婦桜】
今、飯田合庁は耐震化工事の真っ最中ですが、工事に伴い当時の遺構を見ることができました。
【水路、居室の柱跡?】
【現在の桜丸 大リーグボール養成ギブス装着中】
飯田城には赤門以外現存する建造物などはありませんが、合庁周辺を歩いていると、確かにここがお城の址だったことが実感されます。
【北側より 飯田城はこんな段丘上にあります】
<地域政策課>
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