御嶽山と乗鞍岳の火山灰が降り積もった土壌で、不毛の地とされていた桔梗ヶ原ですが、明治時代に入り製糸業の拡大により、原料となる養蚕業の需要が増加すると、諏訪地域等からの入植者により開墾されるように。主力の養蚕業のほか、一部の農家がナイアガラ、コンコードといったアメリカ系の生食ブドウ栽培に着目し、1902年には長野県で初めてのワインが作られたといいます。

1911年に林農園(五一わいん)の創業者、林五一氏も桔梗ヶ原に入植。1919年からは自社でワインの醸造も開始しました。
「当時の桔梗ヶ原では、アメリカ系のブドウ栽培が主流でしたが、私はね、カベルネソーヴィニヨン・ピノノワール・メルロが赤ワインの3大品種といわれるように、欧州系の品種の方が美味しいワインができると思っていたんですよ。ところが専門家の方からはずっと、強酸性の土壌に加え、冬の寒さが厳しい塩尻の地では欧州系ワイン用ブドウは育たないといわれていました」
というのは林農園(五一わいん)代表取締役会長の林幹雄さん。

林農園(五一わいん)代表取締役会長の林幹雄さん
それでも、林農園(五一わいん)の世界に通用するワインを1種類でも作りたいという思いは強く、10種類ほどの欧州系ワイン用ブドウ品種を試験的に栽培。マイナス15度近くまで下がる冬を越すのが厳しく、なかなか思うような結果が出ない中、日本各地のワイン産地を視察した際に、山形県の赤湯町(現在の南陽市)で欧州系品種「メルロ」と出会います。寒い地域でも欧州系品種が育てられている光景を目の当たりにし、塩尻でも育つのではないかとの希望とともに、譲り受けた苗木を数本自社農園に接木することに。1952年のことでした。

70年たった今なおブドウを実らせるメルロの古木
メルロを根付かせるまでは苦労の連続でした。育てる中で、メルロは単純に寒さに弱いのではなく、寒さによって表皮が弱ることで、細菌に感染し「根頭がんしゅ病」により木が枯れてしまうことがわかりました。思考錯誤の末、この細菌に免疫を持つ台木に高接ぎをする手法を考案し、これが見事に成功。栽培方法を確立し、地域内でもメルロ栽培を広めたいと活動を展開します。しかし、赤玉ポートワインに代表される甘味葡萄酒が主流だった時代。国内のワインメーカーは甘味葡萄酒の原料となるコンコードを求めていたほか、欧州系ブドウ品種のワインは輸入した方が、安くて良いものが手に入るとなかなか普及は進みませんでした。






























