信州魅力人

信州の魅力、それは長野県内で頑張るつくり手たちの魅力。そんな魅力人の想いをお伝えします

「生き残っていける」という自信

スギムラ精工の工場に入ると、小刻みにテンポよく、プレスの振動音が体の内部にまで伝わってきます。巨大なテープ状の金属板が大型の機械に取り込まれ、金型に挟まれ、リング状の部品へとカタチを変え、次々と送り出されていました。
ハイブリッドカーにも使われている直径約20cmのドーナッツ状の部品は、数ミリの厚さの金属板を打ち抜く「せん断」と呼ばれるプレス加工によって製造されています。
従業員20数名のスギムラ精工を引っ張る、杉村博幸さん。41歳の若き経営者は、どのように新しい挑戦をしてきたのでしょうか?



「生き残っていける」という自信

-どんな経緯で社長になったのですか?

地元普通科の高校を卒業してすぐに、父親が経営するスギムラ精工に入りました。
父親から会社を引き継いでから3年になるんですが、ただ先代がやってきたことをただ引き継いで同じことを続けていても生き残れないと思っていました。だから、会社の経営体制や作っていた部品も変えました。その際に父親と何度もぶつかりましたよ。

同じプレス加工でも、前の社長の代は、IT関連機器など弱電部品が主でした。しかし、ちょうど海外シフトが激しくなってきて、クルマ関連の部品を手掛けるようになりました。弱電部品と自動車部品は、技術も、顧客もまったく異なります。変化を受け入れるには投資額が結構大きい。だからなかなか踏み切れない会社もあったと思います。
たまたまスギムラ精工は、弱電部品でも比較的大きな部品をつくっていた。だからこそ、割と抵抗なくクルマ部品にシフトすることができました。

-経営者として、いまの会社はどうですか?

まだまだも物足りないところもあります。しかし「なんとか生き残っていける」という自信はありますね。

今、日本のものづくり、とくに部品製造などはどんどん海外に展開していく傾向が強い。しかし、スギムラ精工はそれをしたくない。なんとか日本に残って、会社に関係するすべての人が、これからもここ諏訪の地で生活していければいいかなと考えています。


スギムラ精工の創業は、1980年。カメラ部品のプレスメーカーとしてのスタートでした。
創業当時、プレスの命とも言える金型は、外部からの購入品。「入社してまもなくすると、父親が金型を作るための機械一式を勝手に仕入れてきて『お前、金型作れ』って」。それから杉村さんは独学で金型づくりをマスターします。

「自分が入社して親を楽にしたい」と、プレス技術者として18歳で入社した杉村さん。工学系の大学で習う専門知識を「30歳を過ぎ現場で働きながらの独学」で身につけていきました。

次回は、スギムラ精工の新しい技術と、杉村さんの夢についてお伝えします。

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