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【休館24日目】PTA母親文庫活動全盛期の名残りー地下書庫に眠る本

12月20日(木)、休館中の営業日24日目です。

まだまだ書庫内資料の整理作業が続いていますよ。

この日は、当館が過去に取り組んでいた「PTA母親文庫」で活用していた本を処分するための作業を行いました。

「PTA母親文庫」とは、県下各地に設けられた配本所に県立長野図書館から本を送り、そこから地域の小学校を通じ、生徒たちの手によって順番に各家庭に本が持ち帰られ、皆で回し読みするという活動でした。

昭和25(1950)年、県立長野図書館第3代館長の叶沢清介は、信州大学附属中学校に通う娘の親たちと妻の「母親たちに読書の機会を」という声に押され、PTA母親文庫活動の仕組を考えました。
伊那の上伊那図書館を拠点とした母親文庫=読書活動を皮切りに、全県に20ヶ所の配本所が設けられ、学校と子どもの手を介して母たちに、家々に、村々に本が届けられたのです。

このPTA母親文庫活動は長野県では’60年代末をピークに1980年代の前半まで盛んに展開され、県外へも波及しました。

私が小学生の頃は、もう活動はだいぶ下火になっていた頃のようですが、それでも学校で友だちから袋に入った本を渡され、家に持ち帰って母に渡した記憶があります。当時は何もわかっていませんでしたが、今振り返ればあれがPTA母親文庫活動だったんだなぁと思います。

さて、配本所が20ヶ所もあったということは、そこに送るための本もそれだけたくさん必要でした。配本希望の多い著名な作家の小説などは、同じ本を何冊も揃えて対応していたようです。その名残として、5万冊以上の本がシステム上は未登録なまま地下書庫に保存されてきたのです。(蔵書冊数としてはカウントしていました。)

郷土の作家 新田次郎の本も沢山ありました。

カード左上に書かれている記号「F/て/(7)」というのは、この本が同じ書名で7冊目であることを意味しています。

’70~’80年代前半を中心に、1950年代から1990年にわたる本の数々。同じタイトルの本が何冊も並んでいます。20ヶ所にも及ぶ配本所があったので、中には、「36(冊目)」という複本番号が振られた本もありました。

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