2015.05.18 [ アーカイブ ]
「歴史ある農業施設」について 第2弾
はじめまして!!農地整備課の爤柯です。
職業柄県内の色々な農業施設を見てきました。
どの地域でも工事用の重機が無い時代に、先人が大変な思いをして水を引き、農業で地域を豊かにしてきたことを感じています。
今回は横倉堰・須賀川堰という、江戸時代から明治時代に開削された、奥志賀高原に端を発し、総延長50km以上にも及ぶ水路を紹介します。
私がこの堰と初めて出会ったのは県職員となって間もなく、剣沢ダムや渓流取水工の現場を訪れた時でした。その時は歴史ある用水路だとは、全く知りませんでした。今回こちらにやってきて、あらためて地域のために大変な苦労をして開けた重要な用水路だと知ったところです。
江戸時代末期、夜間瀬村横倉地域の人々は、常に干ばつに苦しんでいたそうです。そのため、奥山から水を引こうという計画が何度か持ち上がったのですが、難工事のため挫折を繰り返したようです。文久元年の今までなかったほどの干ばつを契機に、坂口稔兵衛ほか11名が奥志賀高原の雑魚川水系を水源とした横倉上堰(文久3年)を開削しました。同様な状況にあった須賀川の村も須賀川堰(明治17年)を開削しましたが、新規開田により再び水不足となり、さらに横倉下堰(明治26年)を開削したそうです。
【横倉堰手入れ時の写真(昭和20年代)】
【学習の一環で横倉上堰を見学する児童たち】
【横倉下堰の隧穴内部を見学する児童たち】
これらの水路は、地域の人々が懸命に守ってきましたが、老朽化が進み三堰を統合して管水路を通す工事が昭和52年度から平成6年度まで行われました。私がこの堰にかかわったのは、この工事の後半頃になります。
【バースクリーン後方取水工 急激な流量変動にも安定
的な取水ができ、石や木等の流下物に対して堅牢で、維持
管理が容易です。イワナの生息環境を守るためバースクリ
ーン隙間幅を狭め稚魚の流入を防ぐとともに、ネットで覆
うことにより落ち葉等の流入も防いでいます。】
【剣沢ダム 工事にあたり、ダム敷地内の植物を着工前
に移植保護したり、原生イワナの保護に努めました。また、
周辺整備においても巨石・表土などの現場発生材料を自然
と一体となるよう利用しています。】
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