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普及員の一息㉑ ”水稲箱育苗”発祥の軌跡をたどる!

こんにちは、コーヒー豆の父です。

10月26日(土)に飯山城址に建立されている「松田順次記念碑」と、飯山市常盤にあった長野県農業試験場飯山試験地跡地の「水稲箱育苗発祥の地碑」の清掃を「松田会」に誘われて行ってきました!
まずは記念碑とその周辺の除草や落ち葉拾いなどの清掃をし、きれいになったところで、しめ縄を張り、参加者全員で2礼2拍手1礼のお参りをしました。

 

さてさて、「松田会」とは? 松田順次氏の功績とは?・・・この軌跡をたどっていきましょう!
始めに「松田会」は、松田順次氏の功績を称え今後に伝えていこうという集まりで、水稲農家、飯山市、JA、県農業試験場のOBなどで構成されています。

では、松田順次氏の功績とは?
長野県の試験場が開発し、日本の稲作が飛躍的に向上した技術に「保温折衷苗代」と「水稲箱育苗」があります。このうち、今では当たり前となっている箱育苗技術を開発したのが松田順次氏です。
松田順次氏は、昭和20年代から20年余り長野県職員として長野県農業試験場飯山試験地に勤務していました。
当時の飯山地域の米作りは、豪雪地帯で雪解けが遅く4月いっぱいまで雪が田を覆っており、雪が解けてから種をまき、30~50日かけて苗を作って田植えをしていましたが、どうしても田植えの時期が遅くなり、収穫量が少ないことが課題でした。

農家さんからの、「何とか田植えを早くできないか」との切実な要望に対し、松田順次氏は研究と試行錯誤の末に、養蚕用の飼育木箱(30×60×3cm)に土をつめて、そこに種もみをまいて加温し、苗を育てる育苗法を考案しました。
当時は、大苗(葉が4.5枚以上)が苗づくりの基本といわれていた時代で、小さな苗(葉が3枚)を植えることは革新的過ぎて偉い先生から罵倒されたそうです。
しかし、この箱育苗で田植えが1か月ほど早まって、収穫量が1石(約150㎏)ほども増加し、農家さんから大変感謝されたそうです。

その後、この箱育苗法は、飯山から岳北地域、新潟、東北へと広がり、さらに、根が絡まない小さい苗であることから田植え機の開発が進み、稲作の機械化が確立するきっかけとなりました。現在の育苗箱は木製から耐久性の高い素材に変わってきましたが、箱の大きさは当時のままの30×60×3cmとなっています。

このような、全国の稲作をも大きく変えた松田順次氏の功績を称え、松田氏が県職員を退職する2年前の昭和37年に、長野や新潟の米農家8,500人ほどが米を一升ずつ出し合って、飯山城址に記念碑を建立されたそうです。

こちらは平成4年に閉鎖された飯山試験地の跡地にある「水稲箱育苗発祥の地」記念碑です。この碑は平成6年に関係市町村と関係JAが出資して建てられたそうです。

「松田会」では、松田順次氏の功績を未来に語り継ぐよう、県やJAなどの関係機関に声がけして、毎年秋に、二つの碑の清掃を行っております。
飯山城址公園は、広くて小さいお子さんも楽しめる場所ですので、ぜひ行っていただきたいと思います。そして、関心のある方は、松田順次氏の石碑を拝んでいただければ幸いです。

 

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