信州魅力発掘人 信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

信州魅力発掘人

信州に魅せられ、活動する人たちの言葉には「信州の魅力」が凝縮されています。信州の魅力を掘り下げ、それを語る「信州魅力発掘人」。山の強さ、美しさ、厳しさ、素晴らしさを知る人たちが「山の魅力」を伝えます。

信州の自然の美しさには、歴史がある

登山や自転車など山を楽しむスポーツやアクティビティの普及に取り組む方にインタビューしてきた「信州魅力発掘人」。9回目となる今回は、これまでとは趣向を変えて、「成り立ち」を学びます。

登場していただくのは、戸隠地質化石博物館の学芸員・田辺智隆さん。旧柵(しがらみ)小学校の校舎を再利用した博物館内には、戸隠周辺で見つかった化石をはじめ、岩石や地形模型などを展示しています。館内を歩きながら、田辺さんにお話を伺いました。

信州は、山国ではなく海国だった!

- 田辺さんが山に興味を持ったのはいつごろからですか?

私は千葉の生まれで、初めて長野に来たのは中学2年生のときでした。夏休みに友達と一緒に、諏訪からバスで美ヶ原に登って、山本小屋に泊まりました。次の日は松本に下りて、そこから白馬、八方尾根へ。美ヶ原から見えたのは、富士山、八ヶ岳、南アルプス、北アルプス、中央アルプスという360度のパノラマ展望です。その美しさに感動しました。高校2年生のときは浅間山に登りました。そういう縁もあって、信州大学へ進学しました。

- 大学ではどんなことを?

大学では、教育学部の中学理科を専攻して、野尻湖の発掘なども手伝いました。その後、理学部の大学院に進みました。

山にはそれぞれの個性があります。人と同じで、個性を知って付き合うのが当たり前じゃないですか。今、どういう形をしているのかということから、どうやってできたのか、そして今後はどう変わっていくのか。そういうことを知りたくなったんです。

- 博物館に入ったのは?

大学院を出て、しばらく塩尻で小学校教諭を勤めてから、1989年(平成元)年に戸隠にやってきました。当時はまだ戸隠村で、化石がいっぱい出るので博物館を作ろうということになり、学芸員の採用があったんです。

戸隠が大昔、海だったなんて信じられないじゃないですか。海だったところが山になったという「生い立ち」が面白いと感じました。山国信州と言っていますが、実は海国だった。私は信州の美しい自然には歴史があるということを、大学と大学院で学んできました。さまざまなことを知っていくうちに、地域のことをきちんと調べて、広く伝えるということは、誰かがやらなければならない仕事だと思うようになりましたね。

それぞれの「山の履歴書」を知ってほしい

- 戸隠周辺のことについて教えてください。

化石が出るということは、海だったところが持ち上がってできているということです。博物館のある柵地域は、県内有数の化石産地で、ホタテガイ、アワビなどの貝類をはじめ、ジュゴンの仲間であるダイカイギュウ、ホホジロザメやクジラなどの化石が発見されています。

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