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“美味しい空気と温もりのある町でのびのびと子育てを”(1)

I♥信州(あいラブしんしゅう)
“美味しい空気と温もりのある町でのびのびと子育てを”(1)

「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。


西村さんご家族 (ご自宅の前で)

第7回目のI♥信州は、2002年に神奈川県川崎市より上水内郡飯綱町に移住された西村啓大さん・久美子さんご夫妻にお話をお聞きしました。

啓大さんは、地元の住宅会社で地域や人に密着した家づくりの仕事をされています。
奥様の久美子さんも資格を生かし、地域の老人ホームで介護士として働く一方、5歳のお子さんの子育てに励み、ご家族でのびのびと暮らしています。

スノーボードが共通の趣味、という西村さんご夫妻が移住先として選んだ第二のふるさとは、長野県の北信地域に位置する飯綱町です。
取材当日は快晴。うっすらと冠雪した志賀高原の山並みが、澄んだ青空に映え、ヒンヤリとした空気が気持ちのいい場所での取材となりました。


■忙しない日々から抜け出し、のびのびと暮らしたい
九州・屋久島で生まれ育った啓大さん、大学卒業後は首都圏を中心とした住宅会社に就職され、営業マンとして忙しい毎日を送っていました。
横浜で美容師、その後介護のお仕事をされていた奥様の久美子さんと知り合い、ご結婚。
お互いに支えあう日々でしたが、仕事が深夜まで及び帰宅するのが夜遅い啓大さんと、朝早く出社する久美子さんの生活は、二人で顔を合わせる時間がとれない日も多かったそうです。
都会での多忙な日々を過ごすうち、久美子さんから「田舎暮らししたいね」と、子育ての環境や思いを打ち明けられ、二人で田舎暮らしを考え始めました。


西村啓大さん

啓大さん:「もともと屋久島で育っているので、田舎で暮らしたいなぁという思いはありました。
長野県は、二人の共通の趣味であるスノーボードで何度か訪れたことがあり、妻の父の実家が飯山市の戸狩ということもあって、長野県がいいねと二人の意見が合いました。それに長野県は新幹線も通っているし、都心から車でも4、5時間くらいで来れる場所なので、交通の便の良さも決め手のひとつでした。」

お互いの生活とこれから生まれてくる子どもの子育て環境を考えての田舎暮らし。
西村さんご夫妻が飯綱町に移住を決めるまでにはどんなことがあったのでしょうか。

■はじまりは現在の社長との出会いから
住宅に関わる仕事に誇りとやりがいを感じている啓大さん。
移住先でも住宅に関わる仕事がしたいと探していました。


Uターン・Iターンの転職情報誌

仕事探しの情報源としていたのは、Uターン・Iターンの転職情報が掲載されている雑誌でした。
当時はインターネットも今ほど発達しておらず、移住・交流センターにある情報も少なかったため、雑誌が主な情報源。

気になった企業を見つけては連絡を取り、面接を受ける・・・という日々でしたが、なかなかマッチするところが見つからず、田舎暮らしの話が立ち消えてしまいそうになったことも。
さらに仕事柄、なかなか転職するタイミングがつかめず、それが原因で夫婦で言い合いになったこともありました。

啓大さん:「住宅の仕事はお客様とお会いしてから実際に家を建てるまでにとても時間がかかります。
お客様自身も、何度も話をする中で自分を信頼して、家を建ててくれているので、それを考えると、なかなか辞めますと打ち明けることができなかったですね。」

ある日、近所のコンビニで読んだ雑誌に載っていたのが、啓大さんが現在勤める住宅会社の社長でした。
その中で社長が語っていた、「家」を建てることに対して最初から最後までお世話する、という家づくりへの想いに惹かれ、『自分が行きたい会社はここだ』と感じた啓大さん。
翌日、都内で開かれるUターン・Iターン就職説明会に、社長が出席することを知り、話を聞いてみようと早速足を運びました。
啓大さん:「本来であれば、電話予約をして決まった時間に行って話をするんですが、雑誌を見たのが説明会の前日の夜だったので、しょうがない朝一番に真っ先に行ってみようと。
最初は予約が入っているからと言われたのですが、一番目に予約をしていた方が遅れていたこともあって、一番の人が来るまでという条件で社長とお話しすることができました。」


現在啓大さんが勤める住宅会社

社長との話は盛り上がり、気づけば30分が過ぎていました。

会話をする中で、この人と一緒に働きたいという想いを抱き、最後に社長から言われた、
『長野の冬は厳しい、その厳しい状況を体験した上で判断してほしい』という助言もあって、霧がまく11月、久美子さんと夫婦揃って長野県を訪れたのです。

それから2002年の春。
面接を受け、晴れて転職先が現在勤める住宅会社に決まった啓大さんは、桜が舞う4月、久美子さんとともに飯綱町に移住をしました。

■念願だった古民家風のマイホーム!人の温もりが感じられる中での暮らし

移住した当初は、とりあえず住む家をということで、学生時代の別荘地へのあこがれもあり、霊仙寺湖近くの家を借りて、生活を始めた西村さんご夫妻。

今は間伐され整えられている山も、当時は木が伸びっぱなし。
夏場はセミのけたたましい鳴き声に悩まされ、洗濯物がなかなか乾かないなど、思い描いていた暮らしと現実とのギャップから、2、3ヶ月後には牟礼地域の集落へと住まいを変えました。


霊仙寺湖近くの別荘地が、最初の居住地。霊仙寺湖畔からは北に黒姫山・妙高山が眺望できます。
霊仙寺湖は、長野県で2番目に大きな人造湖です。

第二の居住地である牟礼地域では、地元のお祭りや消防団の仕事など積極的に地域の中に飛び込み、徐々に溶け込んでいきました。
それから3年後、自分で家を建てて、しっかりと居を構えたいという気持ちから、社長にどこかにいい土地がないかと相談し、ついに会社の目と鼻の先にあった現在の土地に自宅を建築!

「会社や現場、それまで住んでいた自宅との往復で『あそこに土地があるなぁ』とぼんやり思っていたくらいの場所だったんですが、まさか自分の家を建てるなんて想像もしていなかったです(笑)」

建築当時は上下水道・インフラが整備されていないところだったため、田舎ならではのコストアップはあったものの、都会で一戸建てを建てるより低価格で建てることができました。
また、スノーボードに訪れた際に立ち寄った小布施の古民家の雰囲気にあこがれ、外壁や内装の柱の塗り替えなど自分達で出来るところは、すべて二人で力を合わせて作り上げたという自慢のマイホーム。


西村さん自慢のマイホーム。(写真左) 夫婦で協力して内装の柱を塗り替えました。
リビングからの吹き抜けも気持ち良いです。(写真右:西村さん撮影)

窓を開ければ隣近所が見えるというような、都会的な近さのあるところではなく、また人里離れたところでもない、人のぬくもりが感じられる集落の中で暮らしたかったというお二人の想いにピッタリの場所で、さらに、霧がパッと晴れたあとに見える志賀高原や四季折々の風景など、お金では決して買えないものまで手に入れることができました。


写真左:飯綱山・飯綱リゾートスキー場。西村さんのご自宅から数十分の距離にスキー場があります。
写真右:西村さんのご自宅からは、冬になると志賀高原周辺のスキー場のライトアップが見ることができます。

「周りの田んぼは春になれば稲が植えられ、秋には黄金に輝きます。
田んぼを休んでいる間の土地には、代わりに蕎麦が植えられるので、一面が真っ白になったり・・・
そういうのを休日とかにふと見ると、いいなぁ~としみじみ感じます。
インターネットを通じて東京の友達に、今こんな景色が見れるんだよと紹介すると、いいね~とコメントがあったりします。都会では味わえない景色ですね。」

社長との不思議な縁、偶然が重なって暮らしはじめた第二のふるさと、飯綱町。
西村さんご夫妻には、飯綱町で生まれ育ったかのような雰囲気がありました。
忙しなく過ごしていた日々から抜け出し、地域に溶け込んだ暮らしを続けることで飯綱町のもつあたたかな土地柄に良い意味で染まったのかなと感じました。

次回、後編では飯綱町での子育てや西村さんご夫妻がこれからチャレンジしたいこと、移住を考えている方へのメッセージをご紹介します。お楽しみに♪

【西村さんご夫妻が移住された上水内郡飯綱町】


飯綱町役場

長野県の北部に位置する町で、2005年に牟礼村と三水村が合併して現在の飯綱町となりました。
飯綱山のふもとに広がる穏やかな丘陵地であり、稲作やりんご・桃などの果樹栽培が盛んです。

また、多数のスキー場があり、冬季にはたくさんの方がウィンタースポーツを楽しみに訪れています。四季折々の自然と人里ののんびりとした雰囲気が味わえる町です。

【インタビュー実施時期 2012年11月】

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