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“エンジニアからオーガニックファーマーへ”(1)

I♥信州(あいラブしんしゅう)
エンジニアからオーガニックファーマーへ
~わたしが育てる、あなたの野菜~(1)

「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。

第18回目のI♥信州は、1999年に京都府から上伊那郡辰野町に移住された志野勝英さんにお話をお聞きしました。

志野さんは、ご自身の農場である「オーガニックファーム「やじろべえ」」にて、農薬や化学肥料を一切使わない有機農法での野菜栽培に取り組んでおられます。
木曽へと通じる初期中山道沿いの里山の麓に建つ、志野さん手作りのログハウスで、信州へ移住されるまでの経緯をお聞きしました。


<暮らしのサイクルをもっとスローに>

京都府の最南端、木津川が流れる木津川市(旧・木津町)。
古くから京都と奈良を結ぶ、水路と陸路の交わる要衝地として栄えたこの地から辰野町へ移住された志野さん。高校卒業後は、長野県内唯一の国立大学である信州大学工学部に進学。その後生まれ育った奈良県御所市に戻り、日本を代表する大手電機メーカーに就職しました。
配属された部署では、主に携帯情報端末などのハイテクモバイル機器の設計・開発に携わっていました。

一口に製品の開発設計といっても、一人ですべてを行うのではありません。
様々な部門から優秀なエンジニアが集められ、ひとつのプロジェクトとして進んでいきます。
プロジェクトが終わると、次のプロジェクト、また次…と製品開発の忙しないサイクルに追われる日々を過ごす内、同じサイクルで回り続ける暮らしをこのままずっと定年まで続けていくのか、という疑問がふと頭をよぎりました。

『仕事が面白くないわけではないけれど、平日帰宅するのが夜10時や深夜になることはザラ。製品化間近ともなれば土日の休みは返上で、ほぼ会社と自宅の行き帰りだけ…。このままの生活を続けて自分は本当に満足出来るのだろうか…。』

そんな想いを抱えると同時に、志野さんの胸に湧き上がってきた新たな夢が「有機農業」でした。

アトピーを抱えるお子さんのため、家族で食べるものはなるべく自分たちで作ろうと、家庭菜園で様々な野菜作りに取り組んでいた志野さん。
食べ物に気をつけるようになる内、有機農業に興味を持つようになりました。

志野さん:「会社を辞める5、6年前くらいから農業をやりたいなと思って地方のことを調べたりしていました。
でもちょうどその頃に下の子が生まれて、時期的に動くことが難しかったんです。子どもの体質のこともあって、普段から妻も食べ物には気を遣っていて、小さい畑ながらもキャベツやブロッコリーなど色んなものを作っていました。その内にだんだんと野菜を育てるということが面白くなってきて、畑に座ってぼーっとしたり、そういう時間を持てることもすごく良いなと思ったんです。」

それから忙しい仕事の合間を縫って、就農への道を模索する日々が始まったのです。

<家庭菜園から夢見た有機農業家への道>

京都府から車で約1時間半のところにある、三重県愛農学園農業高等学校。
この高校は、国から「就農準備校」に指定されており、志野さんが通っていた当時は、就農を考えている人たちに向けて有機農業の講座が月2回開かれていました。

志野さんは、この就農準備校に通うため車の運転免許を取得し、会社員の仕事を続けながら、講座に通いました。

また、京都府と滋賀県を中心に有機農業に関心のある人々が集まって作られた「京滋(けいじ)有機農業研究会」にも参加したり、兵庫県や大阪府で有機農業に取り組んでいる農家の方々の元へ訪ねて話を聞くなど、就農に向けて様々な下調べを行いました。

そして、1998年、43歳の頃に会社を退職。
そこから一年間、三重県の有機農家の元へ通い、有機農業を深く学んだのです。

志野さん:「関西圏にいると私鉄などの交通が発達しているので、それまでは車を必要としてなかったのですが、土地探しなど色々と必要だろうと、40歳くらいのときに運転免許を取ったんです。
三重県は春夏秋冬通じて、何かしら農作物は育てられるのですが、長野県と気候が全く違うので「農業」として学んだことはあまり役立たなかったんですよ(苦笑)」

志野さん:「雨の多い地域・乾燥して日照時間が長い地域・寒冷な地域…とそれぞれ種の蒔き方から何から全部違います。『あそこでこうやってたからこうやろう』と思ってやってみると、中々うまくいかないことの方が多かったです。ただ一年間、生活の仕方やものの考え方などを教えてもらったことはかなり大きかったですね。」

そして、志野さんは有機農業を学ぶと同時に、農地や移住地を探し始めました。
実際に探し始めると、最大のハードルとなったのが有機農業に対する周囲の人の考え方でした。

志野さん:「北は長野県・山梨県くらいから南は九州まで、各地方の自治体や役場に聞いて探しました。自分の今の状況や、これから農業やりたいと考えていること、それが有機農業であることを話して、農地はありますか?と聞くと、大抵の自治体から『止めときなさい』『有機農業は無理だ』と言われました。
やはり自治体としては産地化して、大規模でしっかり核となってやってくれる人に来てほしいんです。
ひとつのものをしっかり作っていくやる気のある人、しかも金銭的なサポートをしなくてもある程度は生活できる人がベスト、というところが多かったです。有機農業だと大規模は出来ないし、あまりいい感触を得ることは出来なかったですね。」

農薬も化学肥料も使わずに作物が作れるはずはない、今さら農業で生活していけるのか、この地に何か悪い影響を与えるんじゃないか…。
そんな周囲の人の目が志野さんに向けられます。
そんな中、熱心に話を聞いてくれた自治体が辰野町でした。

志野さん:「当時役場の農政課にいた若い方に『いいじゃないですか!土地探してみましょうか』と親身になって相談に乗ってもらえたんです。
辰野町は格段に対応が良かった。決めての一番は“人”でしたね。」

そして、職員の方と二人三脚で農地・移住先を探し、塩尻近くの空き家と農地を借りられることに。

志野さん:「空き家はあるんだけど貸してくれるところが中々なくてね。不動産屋さんも回って、やっと一軒見つけて、持ち主の方のところへ面接を受けに行きました。大阪で初めてお会いして話をして、そこで承諾いただけたので、住む家は何とか決まり引っ越すことが出来ました。それから農地。こちらも貸してもらえないことが多かったですね…。
職員の方も一緒に回ってくれたのですが、地主さんが中々頷いてくれない。
幸い、引っ越し先の近くで土地をお借りすることが出来て、それが4月くらいかな。そこからスタートしました。」

辰野町での生活が始まったのは、会社員を辞めてから約一年後。
有機農業の勉強、農地探し、移住地探しと目まぐるしい日々を送りながらも、着実に第二の人生をスタートさせた志野さん。

次回、後編では志野さんの農場「オーガニックファーム「やじろべえ」」の取り組みや、これから挑戦したいこと、移住を考えている方へのメッセージをご紹介します。お楽しみに。

【インタビュー時期:12月】

■志野さんが移住された上伊那郡辰野町


辰野町役場

長野県の南信、伊那谷の北に位置する辰野町。中信地方や諏訪地域を結ぶ交通の要衝として発展し、江戸時代初期に整備された三州街道(伊那街道)小野宿は当時の面影を残す建物が大切に保存されています。
東日本随一と呼び声高い「ゲンジボタル」の発生地であり、辰野町の特別シンボル、また長野県の天然記念物にも指定されています。
蛍が住まうほど豊かで美しい自然溢れる町です。

●長野県では、東京・有楽町の東京観光情報センター内に「長野県移住・交流センター」を開設し、県内各市町村とも協力しながら移住に関する取り組みに力を入れています。
また、名古屋・栄、大阪・梅田の各観光情報センターに「移住・交流サポートデスク」を開設し、中京圏や関西圏からの移住をサポートをしています。
信州への移住に関心のある方はお気軽にご来場ください。

また、移住に関するセミナーや相談会、体験ツアーなどが長野県内各地域で行われています。
移住に興味を持たれている方や信州を知りたい方など多くの皆様のご参加をお待ちしております。

信州へ移住を考える人のポータルサイト
田舎暮らし 楽園信州 http://www.rakuen-shinsyu.jp/

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