2014.01.16 [ILOVE信州]
“生坂”の家族になる(1)
“生坂”の家族になる(1)
~村に暮らすみんなは一つの家族~
「I♥信州」は、長野県外から信州へ移住された方に、移住のきっかけや信州での暮らしの様子をお伺いし、長野県の魅力をさらに伝えていこうというコーナーです。
第19回目のI♥信州は、2013年に兵庫県から東筑摩郡生坂村に移住された皿井浄陽(ヨシヒ)さんにお話をお聞きしました。
皿井さんは生坂村の地域おこし協力隊「いくさか大好き隊」として移住され、各地区の集落支援等の活動に取組んでいらっしゃいます。
奥様が生まれて初めて漬けたという、信州の定番お茶うけである「漬け物」を頂きながら、生坂村に来られた経緯をご自宅でお聞きしました。
*地域おこし協力隊…2009年に総務省によって制度化された、地域活性化事業。地方自治体が公募によって都市部住民を受け入れ、高齢者の生活支援や耕作放棄地整備など農林水産業の支援、また地域の伝統行事の応援等、「地域協力活動」を行います。地域外の人材を積極的に呼び込み、定住に繋げていくことで、地域の活性化を目指す事業です。
<自然の営みを肌で感じる喜びに目覚め”生きる”を支える農業へ>
兵庫県ご出身の皿井さんは、県内でも都市部の地域で生まれ育ち、高校卒業後は宮城県の大学へ進学されました。その後は地元・兵庫県に戻り、官公庁職員として7年間、事務や窓口対応などの仕事に取り組んでいらっしゃいました。奥様とは学生時代に知り合い、ご結婚。皿井さんの故郷・兵庫県で二人のお子さんと家族仲睦まじく暮らしていました。
皿井さんは、実は生坂村に暮らし始めてまだ数ヶ月という、移住一年目のフレッシュな新人さんです。
サラリーマン家庭に育ち、農業とは無縁の暮らしをしていましたが、現在は新規就農での定住を目指し、生坂村でご家族とともに暮らしています。
サラリーマンと農業…まったく違う世界で、第二の人生を歩み始めた皿井さん。農業、そして定住を考えるようになったきっかけは、趣味として始めた家庭菜園でした。
当時暮らしていたマンションのベランダで、少しずつナスやミニトマトなどを栽培するうち、作物を育てる喜びや楽しみが日々膨らんでいき、ついには広い畑を借りるため、兵庫県内の田舎へ引っ越すまでに!
皿井さん:「元々住んでいたところは職場まで30分ほどの距離だったのですが、2時間くらいかかる田舎へ引っ越しまして、そこで畑をやっていました。あくまでも、自家用というか趣味程度の畑でしたけど、作物を育てている時間が楽しみでしたね。あるとき、田舎暮らしとか農業の本を読んでいる中で、生坂村での新規就農の記事を見つけて生坂村を訪れたんです。」
兵庫県内でも都市部の地域で生まれ育ち、田舎に対する漠然とした憧れを抱いていた皿井さん。
それまでにも、鳥取県や岡山県など兵庫県周辺の田舎暮らしの情報を調べることはあっても、実際訪れることはなかったと話します。
調べた自治体へ足を運んだのは生坂村が初めてのこと。
2013年2月、厳寒な信州の冬の時期ではありましたが、のどかな山間の集落風景が広がる生坂村は、まさに皿井さんが憧憬する田舎の風景そのものだったのです。
皿井さん:「実際生坂村に来て村内を車でいろいろと見て回るうちに、この村で生活したら自分自身だけじゃなく、家族・子どももすごく充実した生活を送れるんじゃないかと思ったんです。」
皿井さん:「生坂村は、村の特産品である「山清路ぶどう」で新規就農をされている方がたくさんいらっしゃって、農業メインで生活されている方が多いんですよね。案内してくださった役場や農業公社の方に就農されている方をご紹介いただいてお話をお聞きしたのですが、みなさん元々サラリーマンやエンジニアだったり、農業とは無縁だったという方も多くて。私自身と似たような方が立派に新規就農で、この村で生活されてるということを知って、私もここで農業を軸とした生活をしてみたいという気持ちが強くなりました。」
奥様:「いつも主人が楽しそうに家庭菜園をしている姿を見て、農業やりたいんだなぁと感じていました。生坂村への移住は本当に急だったのですが、私も訪れてみて、この村だったら子どもたちがこれからの時代を生き抜く力を身につけられる…たくましく育ってくれるんじゃないかなと思ったので、決心しました。」
<想いが引き寄せた田舎暮らしへの縁>
移住先を決めるまでには、時間をかけてゆっくりと考える方もいれば、そうではなく直感で一歩を踏み出す方もいます。どちらの決め方が良いというものではなく、その時のタイミングや条件など様々なケースがありますが、皿井さんの場合は圧倒的に後者。
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