児童室展示:児童雑誌『赤い鳥』

児童図書展示:

「児童雑誌『赤い鳥』

 

(H31年3月~R1年6月(予定))

 

 


児童図書室では、2018年に創刊100年を迎えた児童雑誌『赤い鳥』を紹介しています

▼『赤い鳥』とは?
『赤い鳥』は大正7(1918)年7月から、
昭和11(1936)年8月まで刊行された児童のための雑誌です。
それまでの児童雑誌や文化などに対抗するように、
「子どもたちのために質の良い児童文学を」という理念のもとに制作され、
子どもの成長を願った童話童謡などを掲載し、話題となりました。
そしてその後の近代児童文学・童謡に大きな影響を与えている雑誌です。

▼『赤い鳥』に関わった著名人
『赤い鳥』には、芥川龍之介、島崎藤村、北原白秋、泉鏡花など多くの作家が作品を寄稿し、
有島武郎『一房の葡萄』、新美南吉『ごんぎつね』、芥川龍之介『蜘蛛の糸』など、
現在でも読み継がれる多くの作品が掲載されたのです。

また、童話だけでなく童謡も発表され、北原白秋など多くの詩人、作家、作曲家などが活躍したことでも有名です。
大正8(1919)年には演奏会「赤い鳥音楽会」が帝国劇場で開催されたり、
北原白秋「雨」、西條八十「かなりあ」などに成田為三が曲を書きレコード化されるなど、
童謡は全国的に広がり、人々からの反響も多く親しまれたようです。

▼創刊者・鈴木三重吉の人生と作品
『赤い鳥』の創刊者は鈴木三重吉
(すずき みえきち)です。
三重吉は明治15(1882)年、
広島市生まれです。
9歳で母を亡くし、父と祖父母に育てられた三重吉は、子どもの頃から雑誌に作文や童話などの投書をしていました。
高等学校を卒業した後は、
東京帝国大学英文科に進学します。
夏目漱石が英文科の講師を務めており、
講義を受けたことをきっかけに、漱石門下となり、「木曜会(漱石宅で開かれた会合)」にも参加するようになりました。
この時に知り合った人物は、高浜虚子、寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、坂本四方太、松根東洋城などがおり、とくに小宮とは生涯にわたって親交があったようです。

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