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南信州の人々と風土が育む「市田柿」

2021年には誕生から100周年を迎えた「市田柿」。
晩秋になると南信州ではあちこちで柿を吊るす光景が見られ、柿の甘い香りが町中に広がり、今も南信州に冬の訪れを告げる風物詩として親しまれています。


晩秋から初冬にかけてずらりと吊るされる柿。周囲の木々はだんだんと色褪せ冬支度を始める中で柿は煌々と鮮やかな色を保ちつつ、柔らかな晩秋の陽の光に照らされて少しずつ水分が抜け干し柿へと姿を変えていきます。

長野県はそんな干し柿の生産量・出荷量ともに全国1位。中でも、長野県の干し柿生産・出荷量の95%以上を占めるのが市田柿です。長野県の南部、飯田・下伊那地方に位置する高森町の市田地域で栽培されていたことから市田柿と呼ばれています。

かつては家の軒先に吊るされていた市田柿。現在は町中に点在する干し場で徹底した管理のもとで生産されています。

干し柿となる渋柿は奈良時代に中国から日本に伝わり、飯田・下伊那地方でも早くから柿の栽培が行われていたそうです。江戸時代、全国的には年貢は米で納めるのが一般的な中、この地域では「小物成(雑税)」として干し柿が納められていたほど栽培が盛んに行われていたといわれています。

市田柿の原木がこの地に伝わったのは江戸時代後期のこと。伊勢詣の際に立ち寄った、美濃国(現在の岐阜県南部)から持ち帰り植えられたと言い伝えられています。もともとは囲炉裏で焼いて渋を抜き、甘味を引き出す方法で食べられていたことから当時は「焼き柿」の名で親しまれていたそう。焼いても干してもおいしいとその評判が広まり、この地に根付いていきました。1921年に市田柿の名を冠し、東京、名古屋、大阪など県外にも出荷されるようになり、さらに1926年には県立農事試験場下伊那分場(現在の長野県南信農業試験場)が設置され、県がこの地域の適地適品種として栽培を奨励したことも後押しとなり、この地域で市田柿が多く栽培されるようになりました。

「このあたりは明治初期から昭和初期にかけては養蚕が産業の主力で、養蚕用のカゴや網に殺菌剤、防腐剤としての効果がある柿渋を塗ることでも柿が活用されていたんです。私の想像だけど、養蚕には柿渋が必要だったこともあってこの地帯に広まったんじゃないかな」と話すのは市田柿農家の河合一雄さん。

河合一雄さん

時代とともに養蚕業が衰退し、戦後になると多くの農家が養蚕から果樹栽培へと業態を転換。りんごや桃などと比べ、栽培自体に手間がかからない点や、冬場の貴重な収入源としても重宝されていたことから栽培が拡大していきました。

市田柿づくりにおいて、表面のやわらかさを保ちながら中の水分を抜いていくことがおいしい干し柿となる重要なポイントで、実はこの地の地形と気候がそれを実現しています。

市田柿の畑は中央アルプスと南アルプスの間を縫うよう南北に流れる天竜川の西側の河岸段丘に広がっていて町の東西で高低差があり、11月ごろになると天竜川からもうもうと朝霧(川霧)が立ち込めます。

この霧が柿に適度に湿気を与えながらじっくりと時間をかけて乾燥していくことで、市田柿の魅力の一つであるもっちりとした食感が生み出されるのです。

「干し柿は表面が硬くなってしまうと中身が乾きません。表面をやわらかく保ちながら中の水分を抜いていくのをこの「朝霧」が手助けしてくれるんですよ。この霧こそが市田柿が根付いた理由だと思います」と話すのは壬生善廣さん。

壬生善廣さん

市田柿は国内の他の干し柿に比べると小ぶりですが、この小ささもバランス良く水分が抜ける要素となっています。柿の重量が35%程度になるまで乾燥し、縦皺と白い粉がびっしりつき、果肉が鮮やかなオレンジ色の羊羹状になったら乾燥終了、市田柿の完成です。

市田柿の特徴の一つでもある、表面につく白い粉ですが、柿自体に含まれる糖分が結晶化したもの。乾燥中に柿を丁寧にもむことで出るものです。かつては手でもんだり、カゴの上で揺すって粉を出していました。現在はもみ機を使い、もみ機の中で柿を回転させることによって水分が外に出て柿自体が平均的な水分量になります。それをまた干すことによって表面が乾く、この作業を繰り返しながら全体の水分を偏りなく抜いていくのだそうです。

2016年、市田柿は農林水産省によって地理的表示産品(GI)にも認定されました。
「市田柿はJAみなみ信州の技術指導によって長年をかけ、品質のレベルアップをしてきた経過があります。そこにGIに登録されたことにより、一層本気になってきた」と話すのは木村重臣さん。

木村重臣さん

現在は作り手によって品質がバラバラにならないように、衛生面にも気をつけ、徹底した管理のもとで市田柿を生産しています。皮剥き機などの機械も年々効率が良くなり、そういったハード面の充実もあって見た目や味も均一化でき、生産量も増えているそうです。

天然のドライフルーツとして、全国的に人気が高まる中、地球温暖化や農家の高齢化という問題にも直面しています。
「温暖化の影響はかなり感じている。自然現象だから仕方ないけど、そういう中で、どう対応し、今後生産をしていくかということはもっと考えなきゃならないんだろうと思っています」と木村さん。

洋菓子、和菓子への二次加工や輸出も含め、需要はどんどん増えている「市田柿」。2021年には市田柿誕生から100年の節目を迎え、次の世代へと繋ぐべく、さらなる技術を磨いています。

※この記事は2022年11月時点の情報です。取扱商品等は変更になっている場合がございますので、ご了承ください

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