その扉には、保科百助が本を寄贈した時の思いがつづられています。
此書の由来
此書は五無斎保科百助が明治三十六年中 長野地質の標本を東京帝国へ寄贈したる折 理学博士神保小虎先生よりお移りとして拝受したるなり。
此書とゲーキー氏の大地質学のみは信濃教育会へなりとも差出したくハ無けれども独身者の悲しさには之を秘蔵すべき子孫もなし。よし子孫のあればとて馬鹿息子ならば二束三文にて之を古本屋に売却するに至らん。
諺に売り家と唐様に書く三代目ということあり。世人の多くは無暗に宝物を集るの悪癖あり。若し斯くせば一万年の後ニハ宝物のみにて遂には処せま迄に至らん。
五無斎が此書を信濃教育会の図書館に寄贈する所以なり。
明治四十年四月十日
五無斎保科百助謹識
自分にとっては大切なものではあるけれど、私蔵したところで子孫もなく、あっても三代後にはどうなるかわからない、なんでも宝路して集めるのは悪い癖で1万年後には宝物ばかりになり手狭になるだけでどうしようもない…。
知を共に分かちあうための本、知をわかちあう場としての図書館という「公共」図書館の原点を考えさせられます。
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