日本酒の原料は水・米・米麹とシンプルであるからこそ、よい日本酒造りには各蔵元の技術と上質な原料が重要となります。長野県は各地域の山々からの雪解け水など酒造りの命ともいえる水に恵まれるとともに、地域の米で酒を醸す蔵が多いのが特徴です。かつては県外から酒米を移入していましたが、昭和初期から長野の冷涼な気候や風土に適した酒米が開発されるほか、長野県生まれの酒米の価値の掘り起こしが実を結び、コロナ禍前の令和元年(2019年)には全国3位(※)の生産量を誇るまで成長を遂げました。
日本を代表する酒米へと成長した「美山錦」
株式会社田切農産 代表取締役 紫芝 勉さん
長野県では昭和19年(1944年)の「たかね錦」にはじまり、「金紋錦」、「しらかば錦」、「ひとごこち」など様々な酒米が開発されてきました。昭和50年(1975年)に配布開始された「美山錦」は「山田錦」、「五百万石」に次ぐ国内第3位の生産量を誇るまで成長。寒さに強い品種のため、長野県を中心に東北地方でも栽培されており、県内では多くの酒蔵が「美山錦」を使用した日本酒を醸しています。
美山錦は芯白が小さく高精米されるため、香りは控えめでクセが少なく、透明感がありキレ味のある清酒に仕上がるのが特徴です。「ミヤマニスト」を称する熱狂的なファンが存在するほか、フランスで行われる国際的に権威ある日本酒コンクール「KURA MASTER2021」でも「美山錦」部門が設けられるなど、その存在は日本を超え、世界でも知られるようになりました。
「美山錦は、コシヒカリなどに比べると生育期間が少し短く、早生品種に近い品種です。また、寒さに強い特性を生かして、伊那谷では少し標高の高いところで栽培しています」
こう教えてくれたのは、株式会社田切農産の代表取締役 紫芝勉さん。
田切農産は長野県南部の伊那谷に位置する飯島町田切地区の250人以上の住民を株主にして設立された集落営農法人で、「永続できる農業」と「環境にやさしい農業」を軸に、米、麦、大豆、そば、野菜などを生産・販売するほか、農業に必要な資材の生産・販売、農作業の受託、直売所運営など様々な活動を展開しています。
飯島町のある上伊那地域は県内有数の酒米の産地としても知られており、令和3年(2021年)度の酒米県内作付け面積612haのうち24%にあたる144haがこの地域にあるほどです。
伊那谷で酒米生産が盛んな理由をたずねると
「伊那谷の田んぼは、450~800mと標高差があるのが特徴です。このような環境下で例えば一律にコシヒカリを作っても、標高の高いところではいいものが育ちにくいため、標高に応じ異なる品種の栽培を進めており、標高が高く、寒暖差の激しい地区では美山錦を始めとした酒米が盛んに作られるようになりました」と紫芝さん。
くわえて、長野県は病気が出やすい28~30度の温度帯に気温が留まらないことから他県と比較しても高品質なお米ができます。特に飯島町田切地区周辺は標高約750mと比較的高く、朝は22~3度、昼は32度程度と昼夜の寒暖差が、太りが良く高品質なお米を育くみます。
田切農産では酒蔵との関係を大切にしており、杜氏と会う機会がある都度、お米の感想を聞き、生産に生かしていくことを積み重ねているそう。
「当社では、20年ほど前から化学肥料は一切使用せず、農薬の使用も県の基準の2分の1以下に抑えて酒米を栽培しています。始めた当時は全国的にみても、酒米を有機や減農薬で育てている生産者は少なかったのですが、これも酒蔵さんから『こういったお米が作れないか』という提案があってチャレンジしてきたものになるんですよ。このような、酒蔵さんとの対話をこれからも大事にしていきたいですね」と紫芝さん。
「地元で作られたお米で、その地で汲み上げられた水で酒を作るのが基本だと思うんです。長野県の酒蔵の皆さんとお話すると、美山錦をはじめとする長野県産の酒米を使って、その蔵に湧き出る水でお酒を醸すという、基本的な部分を大切にしている蔵が多いんだなあと思います。酒蔵さんが頑張って、いい酒を作ってくれたおかげで、我々もたくさんお米が作れますし、酒米を作る土地柄、気候、歴史も含めて、酒蔵と手を取り合って県産酒米の良さを伝えていきたいです」
長野県には「酒は農家と酒蔵の共同作品」との想いを強く持ち酒造りに取り組む酒蔵が多いですが、それは酒米の生産者も同様なのです。
長野県生まれの期待の新品種「山恵錦」
高橋助作酒造店 5代目 高橋 邦芳さん
酒米の王者と称される「山田錦」に匹敵する長野県オリジナルの新しい酒米を目指し、平成15年(2003年)の育種開始から品種登録される令和2年(2020年)まで17年間もの長い年月を経て生み出された「山恵錦(さんけいにしき)」。「美山錦」や「山田錦」などの酒米の長所を併せ持ち、味香のバランスがよく、なめらかな清酒に仕上がるのが特徴です。
品種登録出願が公表され、平成30年(2018年)から「信交酒545号(山恵錦)」と表示した日本酒の品評会への出品や販売が可能となるやいなや、「山恵錦」で醸した日本酒が全国新酒鑑評会で金賞を受賞するほか、ロンドンで開催される国際的なワインコンクールであるインターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)2021のSAKE部門において、諏訪御湖鶴酒造場「御湖鶴 純米吟醸(山恵錦)」が出品総数1499銘柄の頂点に立ち、チャンピオン・サケの栄冠を獲得。鮮烈で華々しいデビューを飾った期待の新品種です。年々山恵錦で酒をかもす酒蔵が増加しており、今では県内の半数近い約40の酒蔵が「山恵錦」の日本酒を醸しています。
「この品種の普及が始まる頃、長野県農業試験場が育種した新たな酒米品種の中に、酒米としての品質が良さそうで、ちょうど信濃町の気候に適し、寒さや病気にも強い品種がありましたので、農家さんに試験栽培をお願いして新たな酒米での日本酒造りへの挑戦をはじめました。それがまさに『山恵錦』です」
こう教えてくれたのは長野県北部の信濃町で明治8年(1875年)に創業した「高橋助作酒造店」5代目の高橋邦芳さん。
地元の湧水と原料米で日本酒を醸しており、普及されるか分からない「信交酒545号」(のちの「山恵錦」)の試験醸造にも早い段階から継続して参画した数少ない酒蔵です。山恵錦で醸した日本酒が出品可能となった平成30年(2018年)には山恵錦を100%使用した「純米大吟醸」を「全国新酒鑑評会」、「関東信越国税局」、「長野県」の各鑑評会に出品。それぞれ「金賞」、「優秀賞」、「知事賞」の国内三冠を受賞するなど、山恵錦の質の高さを最初に世に知らしめた酒蔵です。
「全国的には酒米というと山田錦が有名ですが、長野県では気候条件が合わず、栽培が難しいのが実情です。特に「寒さ」が大きな問題としてあります。春の遅霜や冷夏、そして地域によっては晩秋には雪が降ってしまうなど、長野の気象条件による制約を克服し、お米の性質的にも山田錦に負けないものをいかにつくり上げるかという制約や試練があったからこそ生まれた酒米が山恵錦だと思います」と高橋さん。
高橋さんは30年ほど前、新たな酵母の誕生や吟醸造りが盛んになるなど、お酒の作りが変わってきた節目となる頃に酒造りを継いだそうです。当時は、県外で生産された山田錦を中心に大吟醸造りに取組み、技術的なノウハウを積み重ねていきました。次なる挑戦として取組みを始めたのが、山田錦を使用した「大吟醸」でなければ鑑評会で賞をとることは難しいと言われるご時世の中、長野県の酒米品種、特に美山錦を使って高品質な日本酒「純米大吟醸」を醸すというものでした。
そして、試行錯誤を重ね、平成20年(2008年)には長野県産 「美山錦」で醸した純米大吟醸が「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞。しかし、気候変動の影響もあってか、高温障害に見舞われるなど、安定した高品質な酒米の栽培という課題に直面します。農家さんの協力を得ながら気候変動の影響を克服するための栽培方法などの研究をしなければと思っていた矢先に、山恵錦の試験栽培が始まるタイミングが重なり、評価のよく分からない未知の酒米での日本酒醸造への挑戦に踏み出したのだそうです。
「長野県内に限っても各地で大きな標高差があるので、この信濃町の地域、北信の地域で育つようなお米であれば気候変動に強く、長野県全体としてもメリットがあるのではないかとの想いから、地元の農家さんにお願いをして一緒になって、山恵錦での醸造に取り組んできました」と高橋さん。
2020年度から3年連続で、地元信濃町及び近接する戸隠地域の「山恵錦」のみを使用していますが、特定の地域のお米にこだわることで特徴の近い酒米が入手でき、いろんな産地の米を使うよりも、原料処理がしやすく品質の高いものを作りやすいそうです。
農家との距離が近いからこそ情報交換を大切にしており、
「そのときどきのお米や稲作の動向をお話しながら、酒米の等級が良くてもお酒にしづらいこともあるので、お酒造りの結果をフィードバックするなど、いいお酒になる上でどういったことが必要なのか農家さんと一緒になって考えています」と高橋さん
地域の水や米といった自然の恵み、そして農家と酒蔵の信頼関係が凝縮された長野県の日本酒。まさに長野県のテロワールを体現する産物といえるでしょう。
高橋助作酒造店
住所:上水内郡信濃町古間856-1
電話:026-255-2007
http://www.matsuwo.co.jp/
※この記事は2023年1月時点の情報です
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