2025.01.20 [ 山好き館長の信州便り ]
肩ひじ張らず…素敵な一年を!(FMぜんこうじ「図書ナビ」第22回)
中川さん:実は、私もシニアの方の大学で「歌」や「ボイストレーニング」の講座を担当させていただいたこと、あるんですよ!
森:わぁー、そうでしたか。ご縁がつながりますね…!
『人生、ポレポレで行こう』
森:「ポレポレ」っていうのは、スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味があるそうなんです。内山さんがアフリカ大陸最高峰の「キリマンジャロ」という山に登った時、あとから登って来た若い人にどんどん追い越されるので焦っていた。そうしたら、案内人のご老人から「ポレポレで行こう」と声をかけられたそうです。「人生は、長い登山と同じ。一歩一歩踏みしめて」この「ポレポレ」という言葉と、母から言われた「肩ひじ張らずに」が私の中ですごく響き合って、なんだかストンと腑に落ちるような気がしました。
たとえば「老いへの視点」という章では、内山さんのお母様の話が出てきます。92歳で往生されたお母様は「なにもできなくなって、お国の世話になってまで長生きなんてごめんだ」と口癖のようにおっしゃっていたそうです。
「老いへの視点」
「老い」が取り上げられるとき、寝たきりや認知症の介護、社会保障の負担の話に結び付けて語られやすい。けれども、近代化以前の家族や地域共同体では、生れ、遊び、学び、働き、助け合うことと同じように、その土地で「老いる」ことはごく当たり前に受け入れられていた。信州の民話『姨捨山』も、知恵者として敬おうという教訓と捉えられます。
近代化で生産力が何よりも大事という、経済中心の「生産力向上主義」の中で、「老い」はあたかも厄介ものに見なされるようになってしまった。
内山さんはこう書きます。「老い」を、心身の衰えといった「喪失」だけから見るのはもう止めよう。と。ここ、素敵な文章なので、中川さん、読んでみていただけますか?
中川さん:「どんな状態になっても、老いる過程で人は新しい人生の価値を創造していく。自分の歩んで来た体験を次世代につなぎ、いのちの連鎖を見届けるのが高齢者の役割だ。「老い」を肯定的に捉え、人生100年時代を伸びやかに生きる意味はそこにあると思う。」
森:ありがとうございます!(中川さんの美しく温かみのある声で読んでいただくと、本当に心に滲みます。)母の生きざまや、確実に、誰にでも来る「老い」というものを見つめ、自分の生き方を考えるうえで、とても救いになる言葉でした。
今日のオープニングの一曲、絢香×コブクロの WINDING ROAD(YouTube)には、こんな歌詞も出てきましたね。「握りしめた掌じゃ 何にもつかめやしない 開いた指の隙間から いつか手にしたままの 夢や憧れの種が…」なんとなく、ぎゅっと握りしめた拳は、肩に力が入っている状態なのかも?と思いました。若い人はもちろん、シニア大学もそうですが、あらゆる年代の人に活躍の場がある社会を作る一員でありたいです。だからといって頑張りすぎず、肩ひじ張らず、一歩一歩、歩んでいきたいな…と思っています。
戦後80年イヤーに向けての抱負・「信州横断[昭和・現代史]講座」
中川さん:今年一年、森館長はどんな年にしたいですか?
森:12月の「図書ナビ」で、「SNS,ネットの情報が大きく影響を及ぼす昨今、信頼できる情報はどこにあるのか・・・ある特定の考え方だけではなく、反対側や別の角度からの考え方もある。それらを読み比べ、自分自身で考えられる多様な情報がある場所として、図書館を思い出していただきたい、信頼の「信」を、今年の一字にしたいとお話しさせていただきました。それを実践していきたいと思います。
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