株式会社アソビズムは「ドラゴンポーカー」「ドラゴンリーグ」といったスマホ向けの人気ゲームやコンテンツを手がける制作会社です。秋葉原に構える本社はそのままに、長野市桜枝町に支社である「長野ブランチ」を設立しました。老舗旅館をリノベーションしたオフィスで新たな取り組みを企てる大手智之さん。彼が経営理念に掲げる「得意を活かす」ことは、彼自身の生き方そのもの、そして彼の思い描く未来への教育のあり方にもつながっています。
「僕の父親は自営業で、金型でプラスチックの成形をするような仕事をしていました。趣味で電子工作とか機械をいじるのが好きで、その父がある日パソコンを買ってきたんです。『パーソナルコンピューター』という言葉自体が出始めた頃で、当時、持っている人はほとんどいなかったと思います。父は仕事で使うためにそろえたんですが、結局、僕らの遊び道具になりました」
MS-DOSの真っ暗な画面にコマンドが光る。たまたま本屋で見つけたゲームプログラミングの本のとおりにコードを入力すると、インベーダーゲームや迷路のゲームができる。パソコン用のゲームはまだまだ高かったので、数百円のその本で何種類ものゲームができることに、小学3年生の大手さんは夢中になりました。
「当時はまだウィンドウズもなくて、パソコンはほんとにシンプルでした。ソフトウェアの知識がなくても、本のとおりに入力すれば動いた。僕はたまたま目の前にパソコンがあって、ゲームのやりたい年頃だった。運が良かったというか。でも当時は外で遊ぶのも大好きだったので、時間がないから朝5時に起きて、学校へ行く前にプログラムをしていました」
学校嫌いで勉強嫌いな息子が夢中になる様子を見て、親はパソコンショップの店員にプログラムを教えてやってくれと頼み込みます。やがて大手少年は小学5年生にして父親の会社の在庫管理システムを組み上げるまでになります。
しかし中学、高校では「オタクなことやっていると思われたくない」と、パソコンを離れて部活動に打ちこみます。いったんは遠ざかったプログラムに再び向き合ったのは、大学受験をあきらめ、進むべき道を模索していた20代前半の頃。
「美大を目指して絵の勉強をしていたのですが、三浪して。当時の彼女に『とりあえず教習所に行けば』と言われて。『自分のなかでモヤモヤしているときは、規則正しい生活がいいよ』って。取りあえず行ったんですけど、それがすっごいつまんなかったんです」
「彼女に『自分の一番好きなこと、夢中になれることをやればいい』と言われて、いろいろ考えていたら小学校の時のことを思い出して。『実はこんなことをやっていたんだ』と言ったら『それをやればいい』と」。しかし大手さんにとってゲームは子どもの頃に夢中になった遊びであり、楽しくて仕方ないもの。
「『そんなの仕事にできない』と言ったら、彼女は『仕事ってのは楽しくてしょうがないことをやるものだ。自分の嫌いなことをやってたら力が出せない。好きなことだから言い訳できなくなる』って言うんです。目からウロコでした」。そして大手さんはゲームの専門学校へ進みます。
大手さんをゲームクリエイターの道へと歩ませた彼女は、本人は美大に通い、父親は陶芸家、母親はデザイナー、兄妹は彫刻家とマンガ家という、大手さんいわく「自分の好きなことを一直線にやる家庭」に育ちました。その彼女こそ、仕事のパートナーとなる現在の奥さんです。
1年で十分と見切りをつけて専門学校をやめた大手さんは、社員8人ほどの小さな会社に入社します。当時23歳でした。「入社1ヵ月くらいで『プレステの企画があるからやらせてくれ』と生意気なことを言ったんですよ。ひとりで情報を集めて調べて、専門学校の同級生を呼んで、半年ほどでゲームをつくりました」
そうして制作されたのが「免許をとろう!」です。大手さん自身の教習所での体験をふまえてつくられたゲームソフトは、デビュー作にして販売数30万本という大ヒットとなります。「その時の仲間が奥さんともうひとり、今でも一緒にやっています」
その会社に在籍した4年間のうちに社員数はどんどん増え、開発部を率いる大手さんは40人ほどのメンバーを抱えるようになりました。しかし 「30歳までには独立したい」という、かねてより抱いていた思いを叶え、27歳で独立を果たします。そして結婚した大手さんは妻とともに「ア ソビズム」を立ち上げます。
静岡に仕事場を構え、考えた企画を毎日のように東京に売り込みにいくものの、なかなか仕事にはつながりませんでした。そして思い切って拠点を東京の中心地に移します。「計算すると、あと3ヵ月で仕事がこないと破産という状況でした」
「最初に勤めた会社である程度成功して、世の中をちょっとなめていたんですよ。そんな状態で独立したから、仕事もすぐ取れると思っていたのに1年近く干されてしまった。そしたら僕、気づいたんですよ。人から必要とされないのは、こんなに苦しいことなんだって」
なんでもいいから仕事がしたいという思いで、知人から頼まれた写真管理ソフト制作も引き受けます。「普通にお金をいただいたら100万はくだらない仕事をやったつもりなんですが、納品を終えたあとに『ありがとー、大手くん。これ、お礼』って、どらやきもらっておしまい(笑)。でもそれがすごくうれしくて、こうやって喜んでもらうのが仕事の原点だと思いました」
そしてリミットが迫るなか、とうとう某ゲーム会社から仕事の依頼が舞い込みます。「喜んでやらせてくださいと全力の企画をいっぱい投げて、向こうからもすごい大事にしてもらって、仕事をどんどんもらいました。今でも若いスタッフには『採算度外視でも、とにかくいいものをつくる。それが最大の営業なんだよ』と伝えています」
会社経営も軌道に乗り、やがて父親となった大手さんは、理想とする子育ての実践を模索するなかで、長野県の旧三水村にある幼児教室「大地」と、園長先生である「青ちゃん」こと青山繁さんを知ります。
子どもとともに参加した体験キャンプで触れた強烈な自然体験と青ちゃんの人柄に魅せられ、大手さんはわが子の入園を決意。そして2ヵ月後には長野へ移住します。そして同時に長野支社の設立準備を進めます。
「土地をさがすなかで、あちこちの行政の方とお会いしました。どこでも少子高齢化で人口が減るのをとめるためには観光と大起業の誘致が大事だと仰る。
でも、それでは意味がないと僕は思っています。新しい企業が生まれる流れの方が、よほど未来につながる。だから若い起業家の移住を促すべきです。そのために必要なのは、彼らの住む場所と働く場所と、子どもたちへの教育環境です」
「教育とは未来を生きる力を養うためにある」と大手さんは言います。そして「コンピューターテクノロジーの進歩によって、僕らの暮らしと働き方は変わってきた。20年後にはすごいことになっているはず。だから人は人にしかできない才能を伸ばすべきであり、それは『想像力』だ」と。
感覚と想像力を養うための「自然体験」と未来に備えた最新の「テクノロジー教育」、ふたつのバランスを取った教育こそ、これからあるべき教育のかたち。そして長野だからこそ、未来への教育のチャレンジに向いているのだと大手さんは考えます。
「うちの経営理念は『得意を活かす』なんですが、僕のこれまでの経験のなかに、その根幹があります。世の中には好きでもない仕事をしている人がたくさんいると思うんですよ。そういう人はきっと自分の中に眠っている『得意』をまったく生かせていないんじゃないでしょうか」
「教育についてもまったく同じことを考えています。子どもひとりひとりの潜在的な能力や個性を、できるだけ尊重して伸ばしてあげるべきだと。そういうことを僕自身が取り組んでいきたいと思っています」
長野ブランチは、老舗旅館だった建物をリノベーションし、2階には寺子屋のような雰囲気の畳の間があります。ここで新たにはじまる取り組みが「未来工作ゼミ」です。
プログラムやICT(情報通信技術)など、これからの時代を生きるうえで重要とされる力を身につけて、インターネットを自在に使いこなし、自分のアイデアを具体的なかたちにして世の中に提案できるように。そんな思いがこめられています。
「夏にはキャンプのようなかたちでやろうかなと計画しています。子どもたちに電子工作キットをわたして、組み立てないとトレッキングができないとか。ちゃんと目的地に着くと、次の設計図が手に入って、そのとおりに組み立てると次のパスワードが読み取れるとか」
まさに自然体験とテクノロジー教育が融合された、アソビズムならではの“遊び”に満ちた取り組みが計画されています。
善光寺の西側、桜枝町交差点すぐそばに立つ、築100年ほどの元旅館の「飯田館」。
2013年に、その建物をリノベーションして長野ブランチはできました。
元老舗旅館からオフィスへと姿をかえた建物内をご紹介します!
正面玄関を入ってまず目に入る重厚な太い梁と飴色の階段に、旅館の趣がそのまま残ります。向かって左の土間には映写機とスクリーンがあって、ここでゲームやスカイプ会議もできます。
玄関の右手がサロン「束ノ間」です。ここはお客さまをもてなす場であり、ときにスタッフ憩いの場にもなります。地元の方が集まって、ボードゲーム大会が行われることもあります。
玄関奥は、もともと台所だったところですが、新たにカウンター式のキッチンに改装しました。このあたりにはスーパーやコンビニがないものですから、社員は自炊したりして、重宝しています。
2階はプログラマーと代表オオテの執務室になっています。もともとは客室があったのですが、間仕切りも天井板も全部ぶち抜きました。配線は床下に隠してあるので、とてもすっきりしています。
2階にはもうひと部屋、畳の大広間があります。春先にはここで大人向けの「未来工作ゼミ」を行いました。仕事帰りの大人の方が、熱心にプログラミングに取り組んでいかれました。
今は長野ブランチでプログラマが本社のバックアップをしていますが、ゆくゆくは完全独立させたいと思っています。長野ではゲームをつくることだけではなくて「未来工作ゼミ」のようなテクノロジー教育を広めて行くことを事業のメインにしたいんです!
そこで、2014年の8月に「未来工作ゼミ」企画の第1弾として、いいづなリゾートスキー場を4日間まるごと借り切った、子ども向けの「サマーアドベンチャーキャンプ」を行います。まさに「自然体験」と「ハイテク教育」の実践。ゲーム制作やプログラミングに興味のあるお子さんがいたら、ぜひ声をかけてあげてください。ご参加お待ちしております。
未来工作ゼミ